私には受け入れられない『「すみません」の国』

本書では、日本人は事あるごとに「すみません」と謝るということをはじめ、次のような著者の日本人論が展開されています。

「すみません」日本人論

日本流のタテマエは他人への思いやりであり、ホンネは利己的である

ものごとを円滑に進め、誰の気持ちも傷つけずにすませようとするためにタテマエがあり、タテマエには利己的なホンネを抑制する役目があるそうです。

そのため、日本流のホンネとタテマエは、わかりにくく、いやらしいとしながらも、奥ゆかしく美しい二重構造となっていると見ています。

日本では意見をはっきり言わずに「察する」ことが大切である

日本人は、「話さなくてもわかる。ツーカーの仲になれないのなら話してもムダ。中途半端なわかり方をするくらいなら、黙っていた方がいい」と考えるそうです。

日本ではツルの一声が影響力をもつ

日本人は、論理や規則よりも権威ある人物の意向に従う傾向が強いそうです。

日本は「状況依存社会」である

なによりも場の空気を重んじるということです。

欧米人論

これに対し、欧米人を次のようにとらえています。

強固な組織化された信条ないしイデオロギーがあり、それがタテマエとなっている

強固な組織化された信条ないしイデオロギーがあり、それがタテマエとなっているために、自分の利己的なホンネに気づきにくいそうです。

ところが、欧米社会は二重構造を認めず、みんながホンネと信じるものをストレートにぶつけるとも書いています。

欧米人は信条ないしイデオロギーのタテマエをホンネと信じているといると主張しているように思えます。

自分だけが正しいと信じ、自分の視点から自分には非がないという自己主張を続ける

欧米人は自分の信条ないしイデオロギーだけが正しいと信じていると考えています。そのため、その信条ないしイデオロギーの視点からのみ、自己主張を繰り返すとしています。

「話さなければわからない、話すことでわかる」と考える

欧米人は、「話さなければわからない、話すことでわかる」と考えるとしています。

その結果、「論理的一貫性をもとにした主義主張のぶつかり合いが、異質な人間同士、文化同士の共存を危うくしている今日、日本的な曖昧さや緩さが何らかの貢献をする余地があるのではないか」と考え、こうした日本の特質を海外に広めようと結論づけています。

奇妙な日本人論

私は、本書の日本人論に、数多くの違和感を持ちました。

まず、日本のタテマエがものごとを円滑に進め、誰の気持ちも傷つけずにすませようとする思いやりであるとしている点です。

確かにそのような場合もあるとは思いますが、単なる責任逃れや自己防衛の場合もたくさんあります。

本書でも、企業や政治家の不祥事によるテレビの謝罪会見をタテマエだけのものが珍しくないと書いています。

次に、「日本では意見をはっきり言わずに『察する』ことが大切である」ということも、強い違和感を持ちました。国語学者金田一春彦の説明が最たるものです。

 一人の日本人が外出しているときに、だれか訪問してきたとする。留守をしていたものはどういうだろうか。
「今ちょっと出ておりますが、もうそろそろ帰って参りますから、暫くお待ちくださいませんか」
 考えてみると、ずいぶん不親切な物の言い方である。「ちょっと出ている」と言って何分ぐらい出ているのであろうか、「そろそろ帰ってくる」「暫くお待ちください」と言って、これまた文字の上だけからは見当がつかない。が、そのときに、「暫くとおっしゃいますが何分ぐらいですか」と質問するお客がいたら、それは頭の悪い、軽蔑せられるべき人間である。
 日本人ならば、ここで考えなければならない。中へあがって帰りを待つべきか。もう一度そのあたりを散歩してふたたび訪問すべきか。それともはっきり諦め、また日を期すべきか。それを決定する資料は、まず留守の人の表情・身振りである。当惑しているか、歓迎している様子か、またその言葉調子が急速ならば、すぐ帰ってくるであろうし、ゆっくり間ののびた調子なら、帰りは遅いとみるべきだ。それからその外出している人のふだんの行状、そのあたりの散らかり具合、それから時刻、あらゆることを考えに入れて、自分のすべき行動を決定することが、日本人の生活である

これを著者は、「こんなことが万が一うまく機能するとしたら、それは芸術的に美しいかもしれないが、何とも厄介だ」と表現しています。現代の日本で、これを「芸術的に美しい」とする感覚に違和感を覚えます。

私には、「暫くとおっしゃいますが何分ぐらいですか」と質問する客が、なぜ、頭の悪い、軽蔑せられるべき人間なのか、よくわかりません。少なくとも現代の日本では、「今ちょっと出ておりますが、もうそろそろ帰って参りますから、暫くお待ちくださいませんか」なんていう答えをする方が、よっぽど頭の悪い人間です。

この部分は、私が子供のころに社会に違和感を持っていたことに通じます。なぜ、大人たちは、きちんと意思疎通をしないのか。表面上は曖昧に穏やかにしていながら、裏では恨み言や愚痴をいう、そんな大人たちが理解できませんでした。

現代社会は、さまざまな宗教や文化や習慣を持つ異質な人たちが共存していかなくてはならない社会です。そんな社会で、日本の特質を世界に広めようと著者は言います。

著者のいう日本の特質とは、ものごとを円滑に進め、誰の気持ちも傷つけずにすませようとすることです。

しかし、それは、「話さなくてもわかる。ツーカーの仲になれないのなら話してもムダ。中途半端なわかり方をするくらいなら、黙っていた方がいい」といった突き放した考えを持っています。

さらに、論理や規則よりも権威ある人物の意向に従い、なによりも場の空気を重んじるというものです。

これが妥当かどうかは置いておいても、このような曖昧さや緩さを世界に広めることが、世界に貢献することになるとはとうてい思えません。

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