変えられることと変えられないこと | 定年起業のためのウェブコンサルティング

変えられることと変えられないこと

キーボード

世の中には変えられることと変えられないことがあります。

例えば、
自動車のアクセルとブレーキの相対的な位置は、
変えられないものです。

もし、
アクセルがブレーキの左にある自動車を作ったとしても、
自動車の運転をこれから習う人以外は運転できないでしょう。

キーボードの配列も、変えにくいものです。

現在一般的になっているQWERTY配列は、
初期の機械式タイプライターで高速に打鍵したときに、
ハンマーが絡み合わないように配列したといわれており、
高速に打鍵するために適した配列ではありません。

その後、
高速打鍵用にDvorak配列のキーボードも開発されましたが、
普及しませんでした。

日本でも、
親指シフト配列やM式配列など日本語入力に適したキーボードが開発されましたが、
あまり普及していません。

これらは、
人間の慣れにからむことは、
一度普及すると変えられなくなることを示しています。

一度練習して身につけた機械の操作方法は、
変更した場合、
誤操作の原因ともなります。

操作を覚える人の立場から考えると、
せっかく練習して身につけた操作方法を捨て、
もう一度、
違う操作方法を練習し直して身につけることは、
大きな心理的抵抗感があります。

また、肉体的にも、
一度身につけたことを捨て、
もう一度別な操作方法を練習することは、
初めて操作方法を練習する時以上に、
長い時間と大きな負荷がかかります。

日本の商用電源周波数が、
東日本と西日本で異なることを解消するかどうかは、
経済的な観点からの判断で決定できますが、
人間の慣れに絡むことに関しては、
効率や経済的な観点からの判断で決定することができません。

逆に言えば、
人間の操作に関する設計をする際は、
簡単に変更できないことを十分に考慮して設計すべきです。

技術的な理由で人間に不自由を強制することは避けなければなりません。

40年以上前のことですが、
漢字を機械的に扱うことが難しいため、
かな専用のタイプライターが開発されました。

その時、
かな専用のタイプライターを普及させるために、
日本語を漢字を使わずに「かな」だけで記述しようという論がでてきました。

未熟な技術を理由として、
文化に関わることを変更しようという暴論でした。

当然、
受け入れられることなく消えて行き、
その後、
日本語ワードプロセッサーなどが開発され、
漢字を当たり前に扱えるようになりました。

操作を覚える人の立場からすると、
複数の操作方法がある場合に、
どの方法を習得するかは、
十分に考慮して決めなければなりません。

また、その操作方法を習得するかどうかも判断する必要があります。

現在で言えば、
携帯電話の入力方式やスマートフォンの入力方式がそれに当たります。

苦労して身につけるかどうかを決めなければいけません。

パソコンでタッチタイピングができない人は、
タッチタイピングを練習するか、
練習するとしたら入力方式として何を選択するかということも含みます。

私は、パソコンの入力は
通常のQWERTY配列のキーボードを使ったローマ字変換を使っています。

携帯電話の入力方式は身につけていません。

スマートフォンでは、フリック入力を使って入力しています。

パソコンの入力は、
自分のパソコン以外にも仕事でいろいろな機器を使うために、
特殊な入力方式を採用するわけにはいかず、
最も一般的な方式を身につけました。

仕事とプライベートで、
違う入力方式を使うなどという器用なことが出来る人はいないと思います。

30年以上前に、
自分のパソコンをはじめて買った時に、
自分で英文タイプの教則本を買って練習しました。

携帯電話のメールはほとんど使わずにいましたので、
携帯電話の入力は身につけていません。

スマートフォンでは、
入力の機会も増えたため、
フリック入力を使っていますが、
慣れるにまかせて、
特別に練習はしていません。

これからも、
新しい機器が発明され、
新しい入力方式も出てくるでしょうが、
習得するかどうかは、
技術動向を踏まえながら判断することが大切です。

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