これまでの経緯がまとまっています。『JAL再建の真実』 | 定年起業のためのウェブコンサルティング

これまでの経緯がまとまっています。『JAL再建の真実』

2010年1月にJALが破綻する3年以上前から、実質的に破綻状態であることを報道してきた著者による、再上場直前までのまとめです。

航空会社は、航空機を航空機メーカーから買う際、バックマージンを受け取っているそうです。通常は、購入価格からバックマージンを引いた金額を資産として計上します。

ところが、破綻前のJALは、このバックマージンを「機材関連報奨額」として、営業外収益に計上していたそうです。そのため、利益が水増しされ、自己資本も水増しされるかわりに、後年度の償却負担がふくらみ、収益を細らせることになりました。

また、最新の航空機に買い替えようとしても、売却損が大きくなるため、機材の更新で他社に遅れをとることになりました。

そんなJALは、バブル経済の崩壊と共におかしくなってきましたが、今回の破綻が見えたのは、2006年3月期の有価証券報告書でした。この期は、経常損益が、前期の698億円の黒字から416億円の赤字に転落しただけでなく、退職給付関係の積立不足額2,731億円と所有権移転外ファイナンス・リース料引当不足71億円が簿外注記されていました。

自己資本額は1,480億円ですから、実質的に債務超過です。筆者はこのときから「JALは『隠れ破綻』している」と言っていました。

JAL破綻の経緯

その後の経緯を簡単にまとめると次のようになります。

2006年7月
 直前の株主総会での説明なしに、発行済み株式の35%にあたる7億株の公募増資

2006年11月
 社長が社内報で経営危機を訴える

2007年2月
 再生中期プランを発表するが、「社長ひとりの年収カットじゃ、話にならない」レベル

2007年3月期決算
 新日本監査法人が繰延税金資産の取り崩しを指導したため、最終損益162億円の赤字となり、最終黒字確保の公約が守れなくなる

2007年3月
 「企業再生専門の支援会社」アリックスパートナーズと支援契約を締結

 実質的に債権放棄と同じ、債権と株式を交換するデット・エクイティ・スワップ(DES)を模索するが、政策投資銀行の民営化骨抜きをねらう財務省によりつぶされる

2009年8月
 国土交通省が「日本航空の経営改善のための有識者会議」を設置

2009年9月
 民主党政権になり、国土交通大臣がJAL再建策を白紙撤回し、世界のビジネス関係者から「日本政府がJALを見放した」と受け取られる

 国土交通大臣が、法的根拠がない「JAL再生タスクフォース」を設置する

2009年10月
 JALの信用不安が高まり、「JAL再生タスクフォース」は信頼を失って解散、企業再生支援機構がJAL再建の支援開始

2010年1月
 JAL破綻、法的整理となる

2010年2月
 稲盛会長就任

2010年8月
 東京地裁にJAL更生計画提出

おわりに

このように見てくると、JALがその再生の過程においても、政争の具とされていたことはよくわかります。

企業再生支援機構の再建計画は、穴だらけであり、更生計画作りも難航したとのことですが、なぜ、V字回復となったのかは本書ではよくわかりません。

会社更生法の適用により、100%減資や資本注入が行われ、実態より高い航空機の帳簿価格の是正が可能になったこと、指名解雇が許容されたこと、不採算路線からの撤退に対する反発を吸収できたことなどの破綻効果があげられていますが、これらは、再建計画策定時にわかっていたことです。

為替の先物・デリバティブ取引などの損失が、市況の改善により解消されたこと(航空機燃料費の300億円削減)とアメーバ経営による経費の削減とも書かれていますが、これらが、再建計画に含まれていたリスクよりも大きく寄与したといことでしょうか。

ANAの「公平公正な競争環境にしてほしい」という不満は、もっともなことで、政府や国土交通省、公正取引委員会の責任は問われなければなりません。しかし、自民党国土交通部会の赤字路線の復活を行わないと上場を認めないという決議は、国民の利益に反するものであり許してはならないものです。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローはこちらからお願いします。