危険な「俺についてこい」待望論

世の中が混迷し選択肢がたくさんあると、「俺についてこい」と言う指導者を待ち望む人がいます。エーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で指摘したとおりです。

野球であれば、強打するかバントするかに絶対の答えが無いことなど誰でも知っています。そんなときは、迷いが最悪の結果を導くことになります。未熟な人ほど、監督の指示をありがたく思います。過去の統計からも、何が最も勝つ確率が高いかもわかっています。その裏をかくかどうかだけの判断です。

政治や経済は、野球とは違います。金融緩和策をとれば必ず景気が良くなるとわかっているわけではありません。日本以外の国では金融緩和策をとった結果、デフレにはならず、ハイパーインフレにもなっていないというだけです。

金融は十分緩和されており、デフレは需要がないためで、金融緩和策をとってもデフレ脱却にはならないという説もあります。中には、第一次大戦後のドイツのようなハイパーインフレになると主張している人もいます。

原発も、原子力村といわれる電力会社と経済産業省の体質が事故を引き起こしたことは明らかですが、廃止した場合に、代替エネルギーがどこまで使えるか、経済への影響がどの程度かは、誰にもはっきりとはわかりません。

はっきり言えることは、原発が絶対安全なことなどあり得ないこと、ひとたび事故が起これば大惨事になることです。

電力会社や経済産業省の言うことを誰も信じられなくなっていることも事実です。このリスクと引き替えに、原発を使うか使わないかは、国民が選択しなくてはいけません。

決して「俺についてこい」などと言う人について行ってはいけません。竹島や尖閣諸島の問題で、韓国や中国と戦争をしよう言っている人もいます。自分の頭で考えて、判断することが、今ほど求められている時はありません。

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