平等とは個性を捨てることではありません

平等院

平等って最高なの? 失くしたものも同じなの? 「平等」「普通」「個性」を考えさせられるマンガが話題に – トゥギャッチ』というエントリを見かけました。

元は、Twitter上で話題になったマンガのようです。

 作者は「ジョバンニ」さん。「平等のための不平等」というタイトルのショートマンガには、きれいな丸い形の赤いものを持つ一人と、いびつな形の赤いものを持つ二人が描かれている。

 いびつな形を持つ二人に向かって、丸い形を持つ人が「もっとマトモに生きなよ!」と声をかけ、二人はハサミで形を丸く切り取ってしまった。みんなの形は同じ丸になったが、切り取られた形の向こうには、二人がなくしてしまった”個性の象徴”のようなものが捨てられている。

どうやら作者は平等とは同じであることと考えているようです。

人は皆違います。平等になるためには、同じでなければならないとすれば、ある人は自分の一部を捨てたり、変えたりしなければなりません。

そんな不条理を訴えたかったのかもしれません。

しかし、平等を同じであることと考えることが間違いです。

マンガの作者が作った世界でいえば、きれいな丸い形のものを持つ人も、いびつな形のものを持つ人も、その世界で生きていく上で、不利なことにならない世界が平等な世界です。

いびつな形をきれいな丸い形にすることが平等ではありません。

平等になるために、普通である必要もないし、個性を捨てる必要もありません。

変えるべきは、個人ではなく、社会です。多様な個人が、その個性のために不利になることのないように社会を変えていかなければなりません。

現実の世界でいえば、人種、宗教、門地、性別などの違いが、不利にならない社会が平等な社会です。

平等とは人類が皆同じようになることではなく、ひとりひとり違う人が、違いにより不利になることのないような社会にすることです。

人類の歴史は平等な社会に向かって進んでいます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローはこちらからお願いします。