自己肯定感は高ければ良いものではない

傲慢

自己肯定感というものがあります。自己肯定感を高めることに熱心な人がいますが、自己肯定感は高ければ良いものなのでしょうか?

自己肯定感とは

自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態だと言われています。

自己肯定感が低いと自信が持てず、他人にどう思われているかが過剰に気になります。そのため、他人の言動に過敏に反応してしまうようです。

自己肯定感が低い人は、成功したとしてもなかなか自信が持てません。まぐれだ。自分がこんなに成功するはずがない。一時的なもので次は失敗する。うまくいくことが続くはずがない。などと思います。

自己肯定感を高めるためのセミナーなどもあります。

自己肯定感が高くなれば、成功を素直に受け入れられ、不必要な恐れを抱くことがなくなります。

自己肯定感の反動

自己肯定感は、自尊心とも呼ばれています。自尊心を図るサイトがあります。

Test.jp — 自尊心チェック

私は、このテストをやってみたところ40点満点中37点でした。極めて高い点数です。

「あなたは自分に正直ですか?もしそうなら周囲の人の目に傲慢で、押し付けがましいと映らないように気をつけましょう。」とコメントされています。

この種のテストをするときに、自分のなりたい人であればこのように答えるだろう、あるいは、こうあるべきだ、と考えて回答する人がいます。このテストであれば、自尊心が高い人を装うわけです。

会社で行われたこの種のテストに、「どうしても、こうありたいという答えをしてしまうよな」と言っていた人を思い出しました。

そういう人に対しての「あなたは自分に正直ですか?」というコメントだと思います。

もう片方のコメントも重要です。

「周囲の人の目に傲慢で、押し付けがましいと映らないように気をつけましょう。」

そうです。自己肯定感(=自尊心)が高いということは、傲慢で押しつけがましいと見えるのです。

自己肯定感の反動を抑える方法

中島敦の『山月記』に次の一節があります。虎となった李徴が言います。

人間であった時、おれは努めて人とのまじわりを避けた。人々はおれを倨傲だ、尊大だといった。実は、それがほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとはいわない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった。おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。おのれの珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、又、おのれの珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。

出典:中島敦 山月記

臆病な自尊心と、尊大な羞恥心が、李徴を虎にしました。人々は、李徴を倨傲だ、尊大だと言いました。

高い自尊心が、師についたり、仲間と切磋琢磨したりすることをさせませんでした。

自己肯定感がうぬぼれとなり学ぶことを怠った結果、その反動が羞恥心となって、李徴を猛獣にしました。

学ぶことに限りはありません。謙虚に師や仲間から学び続ければ、傲慢にも押しつけがましくもならず、猛獣となることもないはずです。

自己肯定感を高めたときに気をつけるべきことは、うぬぼれないことです。成功したとしても自分一人の力で成し遂げたわけではありません。師や仲間と切磋琢磨したから成功したのです。

まだ成功していない人の中には、あなたよりもはるかに才能に恵まれた人がいます。その人たちもチャンスの前髪をつかめれば、あなたをあっという間に抜き去っていきます。

謙虚に学び続けることこそ、傲慢な自己肯定感に負けない方法です。

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