お金をもらうことがこわいという人がいます。モノを売っている人には少ないと思いますが、芸術や創作で食べていこうと考えている人に多い気がします。
自分の描いた絵でお金をもらっていいのだろうかという、良心の呵責に近い気持ちになります。
サービスを提供する仕事でも、こんなことでお金をもらっていいのだろうかと考える人がいます。
先日の『情報発信・ブランディング講座』のセミナーでも、起業してお金をもらうことがこわいという話がありました。
お金儲け=汚い
一番の理由は、お金儲けを汚いと感じるためです。この感覚は昔から世界中にあります。
イエス・キリストは、「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」(マタイ伝19章)と言っています。金持ちは持っている財宝をすべて分け与えない限り天国に行けないと教えています。
シェイクスピアはベニスの商人で、金持ちのシャイロックを悪人として描いています。
この感覚は、金銭欲にまみれた人間が醜悪になるため、その戒めとして古来から引き継がれています。
ただし、マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、利潤を得ることは商品やサービスを人々に提供したという隣人愛の実践の結果だと説明しました。
資本主義の利益追求をプロテスタントの考えに根ざしていると説明したことから、プロテスタントの国では「お金儲け=汚い」と感じる人は少なくなっています。また、イエス・キリストの教えから、金持ちでも寄付をすれば天国に行けると考えています。
お金=感謝の証
「お金=感謝の証」と考えると「お金儲け=汚い」という感覚を払拭できます。
相手にとって価値のあるモノやサービスを相手に与えることにより、その感謝の証としてお金をもらいます。
多くの人に価値があるモノやサービスを生み出せる人は、多くの人に感謝されます。その証がお金になります。
価値があると考えるモノやサービスは人により違います。交換により市場が生まれ、貨幣が生まれたことは歴史が示す通りです。
芸術作品も同じです。価値があると思う人は、その価値に見合うお金を払います。「私の絵にそんな価値はありません」と安くする必要はまったくありません。
サービスを提供する人もそれが相手にとって価値のあることであり、喜んでもらえるならば、その証としてお金をもらえます。
モノやサービスの価値は、それを生み出す労働力に比例するわけではありません。知恵を絞れば労働力なしでも生み出せます。同じモノやサービスでも価値は人により異なります。その意味でマルクスの剰余価値説は誤りです。
起業してお金をもらうときも、相手にとって価値のあるモノなりサービスを提供できているかと問うてみることです。相手にとって価値があると自信が持てるならば、お金をもらうことに躊躇することはありません。