日本の自動車会社も、自動運転車の開発に向かって舵を切りました。しかし、その目指す未来の形がおかしなことになっています。
自動運転車に関するおかしな予想
日本経済新聞で、未来の自動運転車についてのおかしな予想を読みました。人と自動運転車のやりとりです
日本車前へ 動き出す百年の計(上)車が「車」でなくなる日 :日本経済新聞
「高カロリーの食事が続いたので、ランチは軽くソバなどにしてはいかがでしょう」「いいね、お薦めの店はある?」「5分ほどの場所に評判の店があります。移動しますか?」
202X年。日産自動車がイメージする人とクルマのやりとりだ。出典:日本経済新聞
これには違和感を持ちました。
自動運転車が自分の食べたものや健康状態を知っていて、アドバイスしています。自動運転車は個人の所有物のようです。
自動運転車に乗っていないときはどうするのでしょうか? 自分の食べたものや健康状態を知っているのは、自動運転車であってはなりません。
そのような知識や能力は、個人が常に身につけているウェアラブルデバイスかクラウド上にあるべきです。
たまたま自動運転車に乗っていたから、そのスピーカーを通じて音声でやりとりするというのならばわかります。しかし、家にいるとき、外を歩いている時、自転車に乗る時で、やりとりする方法が変わっては戸惑います。
人とやりとりするのは、携帯できるウェアラブルデバイスでなくては不便です。
自動運転車の未来
未来の自動運転車は、個人の所有物ではありません。みんなで共用して使います。
人を乗せていないときは、タワー型のカーポートで充電しているか、呼び出されたときにすぐに駆けつけられるように街を流しています。どこを流すかは、過去のビッグデータから決めます。
自動運転車の利用者は、腕時計型のウェアラブルデバイスに話しかけます。
「○○レストランを××時に予約してくれ」
「かしこまりました。・・・××時に予約できました」
「クルマで行くとして、ここを何時に出れば間に合うかな?」
「△△時に出れば、間に合います。その時間にクルマを呼びますか?」
「そうしてくれ」
△△時に家の前に迎えに来た自動運転車に乗り込むと、予定通り××時までに予約したレストランに到着します。
こういう未来では、社会で必要になるクルマの台数は大幅に減ります。駐車場も必要ありません。その莫大なスペースを都市計画で有効活用できます。
交通事故も激減します。電気自動車なので空気も汚れません。自家用車はなくなります。タクシーも必要ありません。
おわりに
日経新聞に掲載された記事は、クルマは個人の所有物だということにとらわれています。日常の移動をクルマで行うことを前提にしているかもしれません。そのような思い込みから解放されない限り、未来の社会は予想できません。