フィクションを実話のように語るネタは自信のなさの表れ

富良野

先日、『最後の1ヶ月は毎日私を抱きかかえること』という話がネットで流れていました。

これは、途中で明らかにフィクションとわかりました。フィクションとしても非現実的なものでした。

このように、ネットでは、しばしばフィクションなのか、実話なのかをあいまいにした話が流れてきます。

昔も『一杯のかけそば』という話がありました。実話のように見せかけて、感動を得ようとする手法は、昔からのものです。

「だまされた」と思われる

この手の話は、インターネットが発達し、誰もが情報を発信できる世の中になり、増えてきました。なかには、この手法を得意とする人もいるようです。

しかし、この手法は評判が良くありません。矛盾や不自然な点を細かくあげつらう人もいます。

だまされたという感覚を抱かせるためです。小説であればフィクションだとわかっていますから、だまされたという感覚を与えることはありません。

実話と見せかけて、フィクションだから、だまされたという感覚を与えます。故意に実話と思わせるように書いています。実話であれば、より感動する人が多いためです。

未熟さを露呈する手法

しかし、この手法は自らの未熟さを露呈しています。古今の名作といわれる小説は、現代の人にも感動を与えます。フィクションとわかっていても感動します。

実際にあったことにヒントを得て、物語を作ることは、昔から行われています。実際の話であれば、プライバシーに考慮して書けないこともあります。

完全なフィクションであれば、作者の想像力のままです。フィクションは、フィクションとして発表すれば、だまされたと考える人もいなくなります。

少しばかり拡散したとしても、だまされたと思われるだけ、作者にとっては損になります。フィクションはフィクションとして発表してもらいたいものです。

ネットでよく見かける実話を装ったフィクションを読んだ感想です。

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