2016年3月15日の朝日新聞『経済気象台』に「経営トップのパラサイト化」というコラムが掲載されていました。
多くの元経営トップが会社に寄生しているということです。
秘書、運転手付き自動車、交際費の3点セットが、高潔だった人の判断を晩年に鈍らせる。加えて、社外の団体・組織でアドバイザーなどの肩書を兼務し、何をするということもないのに、若手社員が知ったら驚くような金額の報酬を得ている。
加齢に伴う判断や心身の衰えは、人により大きな差があります。一定の年齢で一律に引退するということは、理不尽なことです。
それでも多くの会社が定年を設けているのは、人事評価の偏りをそこで清算する意図があるのかもしれません。
大きな組織では評価は原則上司が行います。どうしても個人的な偏りが発生します。完全に公平な人事評価など不可能です。
そこで、定年だけは、一定の年齢で切っているとも言えます。
職人や役者、芸術家には、生涯現役という人がいます。それは、その人の技術を認め、お金を払う人がいるからです。
そのように考えると、元経営トップだったという理由で優遇されることは不合理です。現時点で会社の経営に資することがなければ、会社は費用をかけるべきではありません。それは会社の利益を棄損する行為です。
過去にどれだけ会社に貢献したとしても、それは、その時の報酬で報われるべきです。もしそうでなければ、そこを改善すべきです。過去の業績に対して、引退してからの待遇で報いるということは奇妙です。
実際、何もしなければ能力は衰えます。長老を祭り上げ、その威光を借りて自分の地位を守りたいという後継者の判断なのかもしれません。
そのような組織は沈滞し、改善されることがなくなります。経営環境の変化についていけず、会社も傾きます。経営トップのパラサイト化は最大の老害です。
これを防ぐ方法を元経営トップの自発的な判断だけにゆだねるとしたら、改革は望めません。
株式会社であるならば株主総会で、パラサイト化した元経営トップに引導を渡すことが重要なことです。
元経営トップは会社に寄生せず、引退したら会社とは縁を切り、そこから先は個人の力で社会に貢献する道を選ぶことが賢明な生き方です。