2016年10月9日の日本経済新聞の中外時評に、新たな和製漢語づくりは極力ひかえるべきという主張が掲載されていました。
(中外時評)むずがゆい和製漢語 やさしい日本語へ知恵を 論説副委員長 飯野克彦 :日本経済新聞
この種の主張は、たびたび繰り返されています。
上の記事によると、福沢諭吉は日本語に漢字はそぐわないとする文章を書いているそうです。
志賀直哉は、日本語は「不完全で不便」であり、そのため「文化の進展が阻害されて」いるから、これを廃止して「世界で一番いい言語」であるフランス語を採用してはどうかと書いています。
ワードプロセッサーが登場する以前から、英語はタイプライターを使い、早く打つことができました。しかし、日本語タイプライターは、一文字ずつ漢字を探さなければならず、簡単に習熟できるものではありません。
そこで、かな文字のタイプライターを採用して、日本語から漢字をなくすべきだという意見もありました。
その後、簡略化した漢字をタイプできるタイプライターを発明した人が現れました。漢字をそのタイプライターに合わせるべきだという主張があったことを記憶しています。
現在、日本語ワードプロセッサーはパソコンアプリの一種として存在しています。そこから印刷される文字は、活版印刷されたものと区別がつきません。
技術的な制約に合わせて、日本語を変えるべきだという主張はなくなりました。
幕末から明治にかけては和製漢語がたくさん作られました。それまでの日本にはない概念が、西洋から入ってきたためです。
最近は、新しい概念は、英語をカタカナで表記することが多くなっています。
社会は変わり、新しい概念が生まれます。それを漢語で表現するか、カタカナで表現するかは、人により好みが分かれます。
また、政府は常用漢字を定め、法令では常用漢字のみを使用することを原則としています。新聞社は漢字の使用について、各社の基準を設けています。
それぞれ勝手にやっていることなので、一般市民が使う漢字に制限はありません。
漢字は、外国人が日本語を学ぶときの壁にはなると思います。しかし、外国語を身につけるためには、どの言語にも壁はあります。
外国人が学びやすくなるように、日本語を変えるべきではありません。
言葉は生き物です。時代とともに変わります。
私自身は、「ら抜き」言葉や、「全然」を肯定文で用いることには、強い嫌悪感があります。
それも時代とともに変わっていくはずです。
これからは、漢字とひらがなの割合が、スマホの画面で読みやすいように変わっていくと思います。
文章の書き方を教える人には、スマホの画面で読みやすいように、漢字を使いすぎず、文や段落は短くすることを推奨する人が増えています。
言葉は、自然に変わっていくことにまかせるべきです。政府が強制的に変更するものではありません。
強制的に変更した言葉は人工的で不自然です。