戦国時代は下克上があったといわれています。下層民の家に生まれた木下籐吉郎が、豊臣秀吉となり天下人となりました。
しかし、日本歴史において最も多くの下克上が行われたのは、1945年以降です。小さな町工場からはじめて、世界的な大企業になった会社がいくつもあります。高等教育を受けていなくても内閣総理大臣になった人がいました。生まれた家がどんなに貧しくても、本人の意志があれば大学を卒業できる世の中でした。
その後、日本社会は、階層の固定化が進みました。世襲の政治家が増えました。親子で芸能人という人も増えました。東京大学の学生の半分が、日本の平均世帯年収の2倍以上という調査結果もあります。
1945年から1989年まで日本経済が発展していた時代は、若者は自らの可能性に希望を持てた時代です。バブル崩壊後は、社会が停滞し、若者の希望もはじけてしまったかのようです。
社会階層の固定化は、社会を停滞させます。しかし、情報技術の発展は、新しい産業を生み出しています。経済も上向いてきました。再度、下克上の可能な世の中として、若者が希望を持てる社会としたいものです。
そこでは、価値観が変わります。1945年までは、生まれた家が絶対と言っていい価値を持っていました。1945年以降は、学歴が大きな価値を持っていました。
これからは、個人のスキルや能力が大きな価値を持つようになります。家や学歴の価値がなくなってしまったわけではありません。それらは、亡霊のようにあちこちで姿を現します。
一部の伝統芸能は、いまだに世襲です。経営者が世襲の会社もまだまだあります。政治家などは世襲が増えました。卒業した大学で出世が決まる会社もまだあります。
そんな社会に抵抗しながら、個人が創意や工夫により、自らのスキルと能力を駆使することにより、希望を実現できる社会にしたいものです。