政府が今年6月に示した成長戦略の素案には、「世界最高水準のIT社会の実現」に向け、プログラミングの義務教育化が含まれています。そこで、プログラミングの義務教育化について考えてみます。
本来、義務教育でやるべきことは、国民全員が身につけておくべきことです。そうすると私の考えでは、プログラミングの義務教育化は不要です。
プログラミングは、向き・不向きが非常に大きい技術です。向いている人は、全人口の数パーセントだと思います。仮に義務教育で教えたとしても、プログラムを書けるようになる人は、半分もいないと思います。論理思考能力や数学的能力との相関関係はありますが、他の知的能力との相関関係はあまりないように感じます。
プログラミングに限らず、どんな分野でも向いている人は、全人口の数パーセントです。音楽も美術も体育も英語も義務教育で教えていますが、大人になってその道でプロになれるのは、一部の人だけです。
音楽、美術、体育、英語を義務教育で教えるのは、それぞれの世界に触れることにより、人生をより豊かに過ごせるようにするためです。プログラミングはそれほど汎用的なものではありません。
音楽やスポーツでプロになる人には、子供の時から特別に訓練を受けていた人が多くいます。幼少のときからの鍛錬が有効な世界です。
美術や英語では、子供の時は義務教育だけで特別な訓練を受けずにいても、大人になってプロになる人もいます。それでも、その才能は子供の時からわかります。自分が中学生だったときを思い出しても、同じ学年でどの分野にも自分にはかなわないと思う人がいました。
プログラミング教育は数学教育に近いと思います。義務教育で特別に教える必要はありません。興味を持ち、好きで、得意であれば、その才能を伸ばしてあげれば良いと思います。
日本では、プログラマーはあまり高く評価されていません。ITゼネコンを頂点とするヒエラルキーの中で、製造を担当する労働者という位置づけです。
1980〜90年代に当時の通産省がプログラマー不足の時代が来ると警鐘をならしたため、IT業界が、向き・不向きを考慮せずに大量のコーダ−を採用し、工場における製造工程のようにプログラムを量産しようとしたところからこうなりました。
発注元が決めた仕様通りのプログラムを作成するだけでは、下請けとして働くだけになります。プロのプログラマーとして働くならば、市場が受け入れるプログラムを自ら創造できるスキルと、そのために学び続けられる楽しさをプログラミングに感じることが必要です。
プログラミングは、多くの人が楽しめる技術ではありません。一部の向いている人だけが活かせる技術です。プログラミングに興味を持ち、好きで、得意な子供がいれば、その才能を伸ばしてやらなければなりませんが、義務教育化する必要はありません。