豊臣秀吉・西郷隆盛・伊藤博文は、
韓国では悪人として扱われていると聞いたのは、
中学2年の時だったと思います。
豊臣秀吉は朝鮮征伐を行い、
西郷隆盛は征韓論を唱え、
伊藤博文は韓国併合をすすめたからだと、
その時は聞きました。
伊藤博文をハルビン駅で暗殺した安重根は、
韓国では英雄だとも聞きました。
その時は、目からうろこが落ちた気がしました。
どれも日本史の授業では、
韓国や朝鮮との関係として
日本側の見方で語られていました。
相手側からみると
歴史は違って見えることに気が付いた瞬間でした。
そのため、高校の日本史授業で、
古代の新羅出兵や任那日本府、白村江の戦いなどについて知ったときは、
両国の関係としてとらえるようにしていました。
同じころ、1492年にコロンブスが
アメリカ大陸を「発見」したということも、
おかしな表現であることに気がつきました。
1492年は
ヨーロッパ人が
侵略の矛先を
アジアからアメリカ大陸にも
向けはじめた年です。
その後、豊臣秀吉は「朝鮮征伐」という言葉を使っておらず、
江戸時代から使われたものであることも知りました。
西郷隆盛の主張は出兵ではなく、
遣韓使節として自らが朝鮮に赴く、
むしろ「遣韓論」だという説もあります。
伊藤博文も個人的には韓国併合に反対していたと言われています。
1984年に千円札の改定が行われたときには、
その前に韓国の人と一緒に仕事をしていたこともあり、
それまで千円札に伊藤博文の肖像画が使われていたことに、
韓国の人はどのように思っていたのかと思いをめぐらせました。
歴史には異説もあり、
何が事実であったかわからない面もあります。
しかし、一方向からの見方でだけで語ることでは不十分で、
必ず多面的な見方をしなければならないことが必要です。