私は幼少の頃、かなり神経質でした。父の話によると、父と一緒に出かけたときに荷物を置いて荷物から離れようとすると、私は盗まれるかもしれないと荷物から離れようとしなかったという話を聞いています。
記憶に残っていることだと、小学校低学年の頃に、上級生になると先生の要求がきつくなりそうで怖かったという記憶があります。
中学生の時に芥川龍之介を読みました。最初は『河童』でした。河童が生まれてくるときに本人に生まれてきたいか聞くという話があると知り、厭世的でおもしろそうだと思い、読みました。
その後、『或阿呆の一生』、『侏儒の言葉』などを続けて読みました。『鼻』や『杜子春』なども読みましたが、ちっともおもしろいと思いませんでした。芥川龍之介が統合失調症であったこと、「将来に対する唯ぼんやりとした不安」という言葉を残して自殺したことなどを知り、なんとなく、自分も芥川龍之介に似ているような気がしました。
その後、太宰治を読みました。教科書に『走れメロス』が載っていたためですが、私は、『人間失格』や『斜陽』に心を引きつけられました。『お伽草紙』や『駆込み訴へ』などもおもしろいと思いましたが、『人間失格』は自分と同じような人間を見つけたような気がしました。太宰治も自殺したと知り、自分が引かれる作家がなぜみんな自殺するのか気味が悪くなりました。
父はよく「親より先に死ぬのは最大の親不孝だ」と言っていました。それで、私は自殺をしないようにしようと思いました。自殺した2人の作家に引きつけられたので、自分は自殺に近づくようなことはしないようにしました。
具体的には、なるべく自殺なんかを考えないような性格の人とつきあうようにしました。楽観的で、前向きに考えて、なんでも笑ってすますことのできる人と一緒にいると、どんなことでも何とかなるという気になります。
反対に内省的で考えすぎる人には、近づかないようにしました。自分の中にある自分で打ち消したいものが表に現れている人からは、逃げ出したくなります。自分の中の打ち消したいものが、表に現れそうで恐くなるからです。
両親は既に他界し、最大の親不孝をすることなくすみました。自分の性格は幼少の時からは変わりました。一緒にいる人が変わると自分も変わる一つの例です。