父の人生、私の人生

戦車の跡

私の父は、1926年(大正15年)生まれでした。

侵略者

高等小学校を卒業し、満州に働きに行きました。

父は生前、このときのことを、「町のえらいさんや校長先生にだまされた」と言っていました。希望にあふれる新天地と言われて行ったら、自分たちは侵略者だったのです。

徴兵

終戦直前に徴兵年齢が引き下げられ、父は徴兵されました。

軍隊生活は極めて理不尽で、士官学校を出た将校連中は生き残り、自分たちのように赤紙一枚で徴兵された者から死んでいったそうです。

穴を掘り、その中に手榴弾を持って潜むよう命じられたそうです。ソ連軍の戦車が上を通ったら自爆して、戦車を破壊するためです。

実際には、その手榴弾で戦車は破壊できず、戦車に踏み潰されて圧死していったそうです。

シベリア抑留

幸い父は生き残り、シベリアに抑留されました。

朝の気温が氷点下10度のときは、暖かいと言って皆で喜んだと言っていました。幸い食べ物を手に入れやすいところであったため、生きながらえることができました。

父はマッシュポテトが嫌いでした。シベリア抑留中にマッシュポテトばかり食べたことがあるせいです。

戦後

その後、1957年(昭和32年)に私が生まれるまでのことを、父は生前、ほとんど話をしませんでした。

父が日本に戻ったときは何もなく、私が生まれたときは靴屋を営んでいました。零細小売業は、将来の展望がまったく描けず、父が1992年(平成4年)に他界したときに店をたたみました。

人生の選択

父の人生に選択の余地があったのか考えてみますと、私が生まれるまでの時代では、受ける教育や携わる仕事には、おそらくほとんど選択の余地はなかったと思います。

戦後は、職業選択の自由が憲法で保障され、高度経済成長もありました。現在の日本の経済状況は非常に悪いですが、少なくとも戦前に比較すれば、自分で選択する余地が大きく開けています。

その環境に感謝しつつ、残りの人生を歩んで生きたいと思います。

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