現代の日本は、コミュニケーションの苦手な人に生きにくい世の中になっています。昔は、典型的な職人として、頑固でコミュニケーションが苦手ですが、腕は確かだと評判の人がいました。製造業の工場でも、卓越した技術を持っていますが、偏屈で、コミュニケーションが苦手な人の伝説がありました。
コミュニケーションが苦手でも、その確かな腕や卓越した技術を活かす道がありました。現代では、コミュニケーションが苦手であると、その腕や技術を活かす道を歩むことも難しくなってしまいました。
戦後の高度経済成長の時代に、大量生産に向いた均一な能力を持った人が望まれたという背景があるかもしれません。その時代には、まだ卓越した技術を持ったコミュニケーションの苦手な人が伝説を残しましたが、新規に採用する新入社員からは、コミュニケーションが苦手な人を排除してきたため、現在はほとんどいなくなってしまいました。
たまたま、学校推薦等で入社試験をくぐり抜けても、まわりとうまくいかず、単純作業ばかりやらされ精神を病んでしまう人もいます。確かに、コミュニケーションが苦手な人は、上司としても使いにくく、まわりの人ともう少しうまくやって欲しいと思いますが、まわりとトラブルばかり起こしていると、人と関わりの少ない仕事しかアサインできなくなってしまいます。高い成果を要求される分、昔よりも不寛容になっているのかもしれません。
コミュニケーションが苦手では、現代日本では生きにくいのは事実です。コミュニケーション能力を伸ばした方が生きやすくなります。コミュニケーション能力は、人を理解する能力と自分を表現する能力の2つに分かれます。
人を理解する能力が弱い人は、自己中心的で攻撃的に見えます。他人が自分の基準に合わないため、そのギャップが我慢できず、それが表に現れると自己中心的で攻撃的に見えるためです。普通は、大人になって人間の理解が深まれば、ギャップを許容できるようになり、穏やかになってきます。
自分を表現する能力が弱い人は、気弱でおとなしく見えます。自分の心の中に人が踏み込んでくることが怖く、殻に閉じこもったようになります。人は、自己開示する人に親しみを感じることは、心理学的に証明されています。その自己開示が怖くてできないため、他人から見て、親しみが感じられなくなってしまいます。これを脱却するためには、怖さを克服して、自己開示する勇気が必要です。
普通は、思春期に自我に目覚め、自分が傷つくことが怖くなりますが、他の人も同じだと分かってくるとだんだんと自己開示していくようになります。自分を表現する能力が弱い人は、自己開示する勇気を持つことです。
人を理解する能力が弱い人は、なかなかそれに気づきません。自分の基準に合わない他人が悪いのだと考えてしまうためです。逆に、自分を表現する能力が弱い人はそれを自覚しています。怖くて自己開示できず、人と親しくなれないためです。自覚している分、改善は早いです。怖いことをやってみることです。