ネットで、自然界では弱肉強食なのに、人間社会ではなぜそれが行われないかという質問を見かけたので整理してみます。
弱肉強食
弱肉強食とは、弱いものが強いものの餌食となる意味で使われます。弱者の犠牲の上に強者が栄えることで、社会の真理の一面を表している言葉のように解釈されています。
ところが、自然界では必ずしも肉食動物が栄え、草食動物が滅びるわけではありません。サーベルタイガーのように滅びてしまった肉食獣もたくさんいます。
反対に、弱いと思える小動物でも生き残っています。
弱肉強食とは、食物連鎖の一部をとらえた言葉で、自然界の一般法則を表す言葉ではありません。
適者生存
自然界の一般法則は適者生存です。環境に適応できた生物だけが生き残ります。
地球上のそれぞれの環境で、そこに適応できた生物が生き残っているからこそ、多様な生物が存在しています。
生物の遺伝子には優劣はありません。ただ、環境に適しているか、適していないかです。環境に適した遺伝子を持っていない生物は消えていくことになります。
人類の戦略
人類は、地球の環境に、知恵をよりどころとして、火や道具を使い社会生活を営むことにより、適応してきました。
社会をつくり、一人では長期間生きられない人でも生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大にするという戦略をとっています。
どれだけの人が生き延びられるかは、その社会のおかれた環境や医学の発達度合いによって変わってきました。昔は生きられなかった人も文明の進歩により、生きられるようになりました。
ところが、人類は他の動物と違い、なぜだかわかりませんが、お互いに殺し合いをします。食物を争う場合もあったでしょうが、利権を争い、名誉のためと称した殺し合いも当たり前のように行っています。
それに反発してか、隣人愛を説く人が現れました。それは、弱者への愛情にも転化していきます。
生物学的にみると、環境の変化に対応するためには、遺伝子の多様性を維持することが有利です。気候が変化し暑くなっても、暑さに強い人は生き残るという戦略です。
弱者への愛情と遺伝子の多様性を維持しようという種としての本能が、弱者を保護する人間社会をつくっていると言えます。