ブログを書いている人の目的はさまざまです。アフィリエイトで儲けたいとか、プランディングしたいとか、自分の仕事の宣伝とか、いろいろあります。
しかし、日記を書いていてはダメだと言われています。一般人の日記など誰も興味を持たず、誰も読みたいと思わないためです。
ところが、ちきりんさんの『「親の雑誌」がもつ価値みっつ』を読んで考えました。ちきりんさんのこのエントリは、高齢者から電話でヒアリングして、その人の人生をまとめた小冊子を作るサービスを紹介したものです。
このサービスは、電話で話をするだけで小冊子としてまとめてくれるというメリットはあります。しかし、自分でブログを書けばほとんど無料で記録を残すことができます。
高齢者が自分の人生を記録に残したいと考えたとき、最も便利な手段はブログです。自費出版や小冊子と違って、お金はほとんどかかりません。後からいくらでも修正できます。
何よりも宣伝の方法を工夫すれば、より多くの人に読んでもらえます。検索で見つけて読む人がいるかもしれません。
ちきりんさんが小冊子の意義のひとつとしている「職業データベース」としても、ブログの方が便利です。
「職業データベース」とは、子供が将来の仕事を考えるときに、世の中にはどのような仕事があるのか、あこがれの仕事に就くためにはどうすればいいのかなどについて手がかりを与えるものです。
確かに自分の子供のときを考えると、親や親戚の仕事や身の回りの狭い範囲の仕事しかわかりませんでした。
ブログは、子供が世の中にどのような仕事があるかを知るための手掛かりになります。自分が興味のあることについて検索したときに、そのことを仕事にしている人を見つけるかもしれません。あこがれの職業に就くために、何を勉強すれば良いかもわかります。
また、ブログは、将来の歴史家が、20世紀から21世紀にかけて、日本人がどのような暮らしをしていたかを知る手がかりともなります。
権力者の残した書物は、しばしば自らの権力を正当化するために書かれたものです。権力者に滅ぼされた王朝などは貶められます。
一般の人が書いたものは、古い時代になるとほとんど残っておらず、どのようなことを考えて暮らしていたのかわかりません。
ちきりんさんが興味を持つ1970年代は、私が中学生から大学生だった時代です。よど号ハイジャック事件もあさま山荘事件も、テレビで見ていました。事件を報じた新聞も読んでいました。学校の教師や周りの大人たちがどのような話をしていたかも聞いています。
新左翼の内ゲバ事件では、同じ大学に入学し、毎日ビラを配ったり、アジ演説をしたりしていた学生が殺されています。
そんな時代でも、一般の学生がどのようなことを考えていたのかを記録したものはあまりありません。
高齢者がそのような過去を振り返って書くブログも読みたいと思う人がいるかもしれません。しかし、何十年もたってから思い出しながら書いたものは、史料的な価値はあまり高くありません。
今の時代を一般の人がブログに書いたものは、何十年かののち歴史家が一般人の生活や考え方を知る手がかりとなりえます。
一般の人が普段の生活や考えていることを記録に残したブログは、本人が考えている以上の価値がありそうです。