「科学に誠実な人のいうことは分かりにくく、科学に不誠実な人のいうことはわかりやすい」ということが、よく問題になるということです。
「科学に誠実な人の話はなぜ届きにくいのか」という話、あるいはなるべく分かりやすく「科学」について書く: 不倒城
確かにそういう傾向はあると思います。
科学に誠実な人、科学に不誠実な人という言葉は分かりにくいので、科学的な人、科学的でない人と書きます。
わかりやすさは科学的とは無関係
科学的であることにとらわれなければ、なんでも言えます。
「○○は体にいい」
「××は体に悪い」
科学的根拠がなくても、わかりやすく言うことは簡単です。
「○○は体にいい。なぜならば、○○は××から作られるから。」
そこに何の根拠もなくても、科学的思考をしない人はそのまま信じてしまいます。何の留保も条件も必要ないので、わかりやすくなります。
つまり、わかりやすさは、科学的であることと何の関係もありません。
科学的であることが、わかりにくい理由
科学的とは、「再現可能な実験や観察から、論理的に導き出すこと」と言っていいと思います。
通常は、次の手順を踏みます。
- 仮説を立てる
- 再現可能な実験や観察を行う
- 実験や観察が仮設と矛盾がないことを検証する
- 仮説が正しいと推論する
再現可能な実験や観察に基づいたものでなければ、科学的とは言えません。
また、科学的に検証された仮設であっても、正しいとは限りません。特定の条件下でのみ成り立つことかもしれません。
そのため、科学的な人は断言を避けます。留保や条件をつけます。
これが、科学的思考が不得手な人に、わかりにくいと感じさせるひとつの理由です。
また、よく言われることですが、存在しないことの証明は難しいことです。
存在することは、それを示すだけで証明できます。iPS細胞が存在することは、iPS細胞を再現可能な方法で作成できれば証明できます。
逆に、存在しないものは、まだ見つかっていないだけかもしれません。そのため、これまでの方法では再現しないという言い方になります。
これも、科学的思考が不得手な人に、わかりにくいと感じさせる原因です。
ではどうするか
それでは、科学的なことをわかりやすくするためには、どうすれば良いでしょうか?
科学的であろうとすれば、どうしても留保や条件がつきます。それを除いて断言してしまっては、科学的ではなくなります。
科学的なことをわかりやすくするには限界があります。
科学的思考を身につけてもらうことが正攻法です。そのために義務教育があります。
科学的思考が不得手で、どうしても身につけられない人はどうすれば良いでしょうか?
Twitterなどにも科学的でない言葉が飛び交っています。
自分が科学的思考が苦手であることを自覚することです。そうすれば、わかりやすい説明だからと言って、非科学的な説明をうのみにすることはなくなります。
留保や条件がつくと、よくわからなくなる人は、科学的思考が苦手な人です。そういう人は、他人のわかりやすい説明をそのまま信じないことです。
まとめ
科学的であるということは、再現可能な実験や観察から推論することです。そこに、留保や条件が付くことは避けられません。それが理解できないならば、科学的思考が苦手だということです。他人のわかりやすい説明をそのまま信じてはいけません。