匿名でTwitterやFacebookに政治的な話を投稿する人がいます。しかし、まったく意味がありません。炎上のネタにしかなりません。
TwitterやFacebookでの政治的投稿に対する反応
TwitterやFacebookの政治的な投稿に対する大多数の人の反応は、決まっています。
自分と同意見であっても、反対意見であっても、パッと見て読み飛ばすだけです。
Facebookで「友達」になっていれば、「友達」を解除するかもしれません。Twitterであればフォローを外すかもしれません。
TwitterやFacebookの政治的な投稿を読んで、自分の考えを変える人はいません。じっくりと深く考えるには、TwitterもFacebookも短すぎます。
誰もTwitterやFacebookから政治的な考え方を学ぼうなどと考えていません。
ごく一部のヒマで物好きな人がコメントします。ご丁寧に複数のアカウントを駆使し、一人で何人かの人を装ってコメントする人もいます。
しかし、意味のある話になることはありません。事実誤認による無意味な言い争いであったり、相手の言葉尻をとらえた罵詈雑言の応酬になったりします。
逆に、太鼓持ちと思われるコメントで埋まることもあります。教祖と信者の関係のような人たちです。
政治的投稿の意図
それでは、TwitterやFacebookに政治的な投稿をする人は、何を考えているのでしょうか?
ブランディング
自分の政治信条を投稿することで、自分の立ち位置を表明する人たちがいます。自分のブランディングの一種です。
政治家あるいは政治に関する仕事についている方です。この方たちは匿名ではありません。ペンネームの方はいるでしょうが、顔を出しています。
匿名ではブランディングになりません。
しかし、TwitterやFacebookで自らの政治信条に共感する人を増やそうとは思っていないはずです。
政治のプロですから、TwitterやFacebookにも戦略的に投稿していると思います。
自己満足
匿名アカウントで投稿する人は、実生活では言えない意見を言う場を求めています。
ネットについて、社会的制約があって言えないと感じていることでも言える場と考えている可能性もあります。
それで、TwitterやFacebookで政治的投稿をするとしたら、自己満足でしかありません。誰もまともに読まないからです。
逆にリスクはあります。炎上するだけではありません。
戦前であれば、戦争に反対するだけでも捕まり、殺される可能性がありました。
現在でも、表明すれば叩かれることが間違いのないタブーに近い意見が、日本にもあります。公の場では誰も言いません。ネットでもまず見ません。
万が一、戦前のような社会になったとき、警察権力をもってすればネットに匿名はありません。匿名であっても政府に批判的な意見を投稿する人を突き止めることは造作もないことです。
ネットは匿名に見えても匿名ではありません。
可能性はほとんどないとしても、このようなリスクと自己満足とを天秤にかけることも必要です。