ライターがおカネをもらえる文章を書くための文章術です。目次とまえがきでは、<不良>に「プロ」とルビをふっています。おカネになる文章は、しろうとの投稿とは違います。豊富で具体的な添削例で、そこを強調しています。どこが違うのか見てみましょう。
1.「読み手」から発想する
しろうとは「書き手」から発想します。自分が感動したこと、自分が面白いと思ったこと、自分が役に立つと思ったことを書きます。おカネになる文章は「読み手」から発想しなければいけません。「読み手」にとって役立つ情報はなにか、「読み手」は何を面白いと思うか、「読み手」が何に感動するかです。
2.「読み手」を想定する
「読み手」から発想するためには、「読み手」を想定しなければなりません。万人にとって役に立ったり、万人が面白いと思ったり、感動したりするものはありません。性別と年齢を主軸に、ライフスタイルや職業などを想定します。ただし、おおぜいの人を想定するわけではありません。一人の人を想定して、その人に向かって書きます。その人にあわせて、文章のテーマ、使う言葉だけでなく、文体、句読点の打ち方、文の長さなども決めます。
3.結論から考える
その文章の結論を決めます。結論のない文章におカネを払ってくれる人はいません。結論が決まらない場合は、書くことをあきらめるか、結論が見つからないことを主題にします。
4.「意味の論理性」を伝える
事実関係よりも、「どうしてそうなったのか」という意味の論理性を重視します。5W1Hに象徴される事実関係を、必ずしも網羅する必要はありません。
5.正論は書かない
正論は反論ができません。ゆえに、つまりません。つまらないことは書いてはいけません。非常識なことを書かなければいけません。人に嫌われることを恐れてはいけません。いやなやつ、嫌われ者を積極的に引き受けなければなりません。それがつらければ、別の人格を演じることも必要です。ペンネームもそのためにあります。
<不良>のライターは、無署名の記事では自分を出しません。「読み手」にとっては、「書き手」はどうでもいい存在だからです。署名原稿を書くときは、友達をなくす覚悟で書きます。ふつうのことを書いていたのでは、おカネになりません。良識や常識や世間のしがらみを気にしないで書かなければなりません。
■ まとめ
『「読み手」から発想する』から『「意味の論理性」を伝える』までは、ブログでもそのまま使えます。問題は、『正論は書かない』です。ブログは実名で書く人もいれば、匿名で書く人もいます。匿名でも、他のSNSや書いている内容から、周りの人はわかります。実質的にブログは署名記事と同じです。
<不良>のライターはおカネのために、友達をなくします。家族からも疎まれます。親戚や隣人から嫌われます。有名作家で知人に訴訟を起こされた人もいます。ブロガーはそこまでの覚悟で書く人はいません。ブログは「読み手」におカネを出してもらうことはありません。「読み手」との間には、さまざまなSNSで関係が築かれています。そこが、<不良>のライターとブロガーの根本的な違いになります。