試験は必要悪です。試験は最小限にしなければなりません。
医者とか弁護士は、資格試験に合格しないと仕事ができません。医者や弁護士になるときは、試験を受ける意味があることは言うまでもありません。
私の専門である情報処理関係の試験は、合格すれば合格に必要な知識やスキルを持っていることを証明できます。仕事を発注する条件として、資格の取得を条件とするユーザーもあります。
ただし、試験に合格できる知識やスキルが、そのまま仕事で使えるとは限りません。
逆に仕事をするのに十分な知識とスキルを持っていても、資格を持っていない人もいます。
この傾向は、高度な資格になるほど顕著になります。情報処理関連の仕事では、高度になるほどヒューマンスキルが要求されるため、ペーパーテストでは判定が困難なためです。
試験マニア
何か新しいことを学ぶときに、試験を受けようとする人がいます。このような人を対象とした試験も増えています。
試験がうまく設計されていればいいですが、中には重箱の隅をつつくような問題を含む試験もありそうです。
動機付けの方法が間違っていると、結果はおかしなことになります。
私は、試験を受けることは嫌いです。世の中には試験マニアといえるような試験好きの人もいます。
私が試験を嫌いな理由は、本来、記憶する必要がないことでも、記憶しておけば試験で高得点をとれるためです。
試験を受けると高得点をとりたくなります。すると意味のない丸暗記をすることになります。そこが、試験の一番嫌いなところです。
そのため、私は何かを学んでも、それに関する試験を受けようとは思いません。
ロボットは東大に入れるか
こんなことを考えたのは、『ロボットは東大に入れるか』を読んだためです。人工知能に東大の入試問題を解かせる試みです。
その目的を人工知能が人間の仕事を奪う可能性を探るためとしています。
しかし、仕事をすることと東大の入試問題の正解を見つけることには大きな隔たりがあります。
実際、『ロボットは東大に入れるか』では、入試問題を解くことに特化した工夫をあれこれとしています。
例えば、国語の5択問題では一番仲間外れの選択肢を最初に排除しています。つまり試験問題作成者は、受験生が間違えやすいように正解に似た選択肢を作るという傾向を利用しています。国語の問題を解くのではなく、試験対策により答えを絞り込んでいます。
また、数学の問題を解くためにタルスキという数学者の発見したアルゴリズムを使っています。そのため、エレガントに解ける問題でも、ゴリゴリと力ずくで解くようなことになります。
人工知能が東大の入試問題を解いて合格最低点以上をとれば、ショックを受ける人もいるかもしれません。しかし、東大の入試問題に特化しているので、チェスや将棋で人工知能が人間に勝つこととたいして変わりません。汎用的な知能で人間を上回ったことを示すことではありません。
人工知能に実際に役立つ仕事をさせる試みの方が、はるかに意味があります。