インターネット上ではお互いに反目しあい、分かり合えないという意見があります。
枝葉末節にこだわり、相手の揚げ足をとり、暴言を吐く輩も確かにいます。
自分の感覚だけでものを言い、少数の人の気持ちを思いやることができない人も珍しくありません。
インターネットでしばしば見られる争いばかりに気をとられると、インターネットは分かり合えないと考えるのもわかります。
しかし、自分できちんとものを考えられる人にとっては、インターネットほど便利なものはありません。
右側の人の主張を知りたいと思えば、調べればわかります。左側の人の考え方も知ることは簡単です。
難しいのは事実関係を調べることです。事実関係に異なる見解があるときは、自分で確認するしかありません。しかし、自分で確認することが困難なことはたくさんあります。
ガンに関することなどは、最先端の医療現場で日々新しいことが分かっているのだと思います。しかし、そこに異なる見解が存在するときは、素人にはどちらが妥当か判断するすべがありません。
科学的に再現可能なのかどうかを専門家が検証し、発表してくれることを待つしかありません。
しかし、事実関係に関して見解が分かれるものばかりではありません。多くの争いは、事実をきちんと知らないことから起きています。
先日、『選択的夫婦別姓に反対する人は論理的思考力に欠けているか思いやりのない人』というエントリを書いた時には、日本で夫婦が同姓になったのが明治31年に旧民法が成立してからだということを知らない人からの反論がありました。2000年前から続いていることだと思い込んでいたようです。
また、感じ方の違いも争いのもとになります。選択的夫婦別姓の問題でいえば、夫婦別姓が家族の絆を弱めるかどうかという問題です。
強い愛情で結ばれた家族にとっては、姓が同じか違うかは、家族の絆には関係ないことです。しかし、中には家族の絆を姓が同じであることでしか確認できない人もいるのかもしれません。
家族の絆にとって、姓が同一であることの重要性が人により異なり、選択的夫婦別姓についての意見が異なる理由のひとつになっているのだと思います。
インターネット登場前は、異なるルールや価値観に遭遇したとき、それを理解しようと思えば、苦労して文献を探して読むか、人を探して話を聞きに行くしかありませんでした。
インターネットが登場してからは、異なるルールや価値観を持つ人の意見や感覚も簡単に調べることができます。
自分と異なるルールや価値観に遭遇したとしても、それを頭から否定するのではなく、そのルールや価値観が生まれた理由や根拠を自分で調べ、自分で考えて判断できる時代になっています。
そういう意味でもインターネットは素晴らしい技術です。