もう40年近く前のことです。社会インフラを担当する大企業の管理職をやっている人から次のような意見を聞いたことがあります。
「学生時代にアルバイトをしている奴はダメだ。
苦学生で働かなければ学校に行けない学生は別だ。
遊ぶ金目当てで、アルバイトするような奴は部下にしたくない。
簡単にお金を稼げると考えて、仕事をなめている。」
現在は、いや当時でも、この意見に賛同する人は少ないと思います。
アルバイトは、学生がさまざまな経験を積む場となります。アルバイトの経験は社会生活に役立つと考える人がほとんどです。
私はずっと気になっていたので、上記のような考えに至った理由を推測してみます。
この人は昭和一桁生まれで、終戦時は小学生でした。家は貧しかったそうですが、兄弟は多く歳の離れた末っ子だったこともあり、お兄さんたちが高校の学費を出してくれたそうです。
高校卒業後、お兄さんの口利きで会社に入ることができたと言っていました。
そのような人から見れば、遊ぶ金目当てでアルバイトをすることは、許しがたいことだったと思います。
アルバイトをする時間があれば、勉強すべきと考えたはずです。
お兄さんたちが、自分のために少ない収入の中から学費を出してくれた。自分は一生懸命勉強して、立身出世しなければならないと考えたはずです。
この感覚が戦後の焼け野原で苦労した人の考え方の基礎にあります。
勉強ができるという恵まれた立場にあるならば、一生懸命勉強しろ。
誰のおかげで勉強ができるのか考えろ。
遊ぶことなど考えるな。
こう考えると、学生時代をアルバイトと遊びで過ごした大学生など、信用できないことも納得がいきます。
会社の給料が、アルバイトで稼いでいた金額よりも低いと、不満を言う新入社員もいたかもしれません。社会保険料の会社負担、福利厚生費などに考えが及ばない人は、今でもたくさんいます。
アルバイトが社会経験を積む場になるという考えは、社会経験のない学生のたわごとに聞こえます。
アルバイトとして作業の一部を担当することと、社会インフラを支える仕事を24時間365日担当する社員を一緒にするなと考えます。
責任の重さがまったく異なります。私も経験がありますが、24時間365日、いつ緊急事態が起こるかわからない仕事は、誰にでも務まる仕事ではありません。
すぐに逃げ出したくなる人はたくさんいます。
アルバイトで小金を儲けたからといって、世の中がわかった気になるなという考えになります。
これが、学生のアルバイトを否定する考え方です。
一方、さまざまな仕事で、お金を儲けることに長けた人もいます。何があっても、何かしらお金を稼ぎ生活していきます。
こういう人にとってはアルバイト経験は重要です。日銭を稼ぐノウハウの宝庫です。
どちらも間違いではありません。
アルバイトは遊ぶ金を得るための手段という考えと、生活のためのひとつの手段という考えの違いです。