悪ふざけはどこまで許されるか

百合の花

 悪ふざけをTwitterで投稿し炎上する事件があいついでいますが、そもそも許される悪ふざけと許されない悪ふざけがあるのか考えてみます。

 許されることと許されないことには、文化や宗教の違いがあります。イスラム教では、豚を食べることは汚らわしいとして禁じられています。ヒンドゥー教では、逆に牛は神聖なため食べてはならないとされています。多くの文化で忌み嫌われる人肉食でさえ、肉親が死んだとき死者を敬うために食べるという文化が存在します。

 モーゼの十戒も普遍的なものではありません。人類全般で普遍的に悪いこととされているのは、殺人ぐらいでしょうか。盗みは、鼠小僧次郎吉をはじめとする義賊伝説が世界各地にあることから、許す文化があると考えてもいいと思います。嘘も、「嘘も方便」などのことわざがあり、許される文化があります。姦淫に関しては、文化により考え方が大きく異なります。

 するとルソーの社会契約説に従い、その社会において法律なり契約なりで禁じられていることは許されず、それ以外のことは許されるのが妥当だという考えになります。キリスト教社会はこの考え方です。

 しかし、日本をはじめとする東アジアには違った考えがあります。法律よりも上の規律があり、それを守るためであれば法律を破ることは許されるという考え方です。例えば、人の命を救うためであれば、法律を破ることは許されるというものです。

 日本では、1977年のダッカ日航機ハイジャック事件で、「一人の生命は地球よりも重い」と言って、獄中メンバーを釈放したことがありました。この対応については意見が分かれました。

 法律で明確に禁止されていなくても、嫌われる行為があります。飲食店が食品を不衛生に扱う行為などです。これは、人により感じ方が異なります。すると飲食店としては、最も敏感な人に合わせることになります。

 法令で決まっていようが、いまいが、人によって意見がわかれるということです。そのため、お客様を相手とするところでは、安全サイドに合わせることになります。すなわち、法令に違反することは許されません。人が嫌だと感じることについては、最も敏感な人が嫌だと感じることが許されません。

 それでも、鈍感な人には過敏な人の感覚がわからず、やってしまうということがあります。その部分は、経験を積みながら、嫌がる人がいるということを覚えていくしかないと思います。

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