格差固定化の源

雪の中の哲学の木

現在の日本では格差が固定化されているという説があります。東京大学の学生の半分が、日本の平均世帯年収の2倍以上という調査結果もあります。

また、高等教育の発展が不平等をつくるという説があります。次のような説です。

高等教育の発展が不平等をつくるという説

多くの人が高等教育を受けられるようになると、高等教育を受けることが当たり前という意識を多くの人が持ちます。

しかし、現代の教育制度に適応できない人もいます。高等教育に進めない人がいることに気づいたときに、人々の中に格差を当然視する意識が芽生えるということです。

現代では、親は教育の重要性を十分に知っています。そのため、子供の学校での成績に過剰なまでに神経質になります。

学校は成績により階層化されています。それが、成績により格差が生まれることが当然という風潮を高めることにつながります。

高等教育の発展が不平等をつくるという説の間違っている点

上に書いた「高等教育の発展が不平等をつくる」という説は間違っています。

私の父は高等教育を受けられませんでした。1926年生まれの父は家が貧乏であったため、学校の先生や町のエライさんに勧められ、高等小学校卒業と同時に満州に働きに行きました。

そこにあるのは、親の経済力がなければ高等教育に進めないことは当然という意識です。経済力の格差がそのまま教育の格差になります。その結果、経済力の格差が子供に引き継がれます。

1957年生まれの私は、小学校も中学校も高校も地元の公立学校でした。学習塾や進学塾に行ったことはありません。それでも、大学の授業料が月3,000円であったため、自宅から通える国立大学に行けました。

私の学生時代は、日本の歴史の中で最も経済力に関係なく高等教育を受けられた時代です。私の大学卒業後、国立大学の授業料はうなぎのぼりに値上げされました。

父の時代から私の時代では、明らかに経済力の格差が教育に及ぼす影響は軽減されました。高等教育は発展していますが、格差は是正されています。

国立大学の授業料値上げが、その後の格差の固定化につながったようにも見えます。もちろんそれだけではなく、高度経済成長時代が終わり、大きな経済的成功を収める人が減ったこともあるとは思います。

それに加えて、日本社会の雇用流動性のなさが、大学卒業時に希望の仕事につけなかった人を不利にしている面があります。

高等教育の発展が不平等をつくるということはありません。成績により格差が生まれることが当然という風潮は、高等教育の発展がもたらしたものではありません。

能力が劣れば格差があって当然という差別意識がもたらしたものです。現代社会では、ほとんどの人が能力による差別を差別と感じていません。

異なる能力を持つ個々人が、それぞれの能力を発揮しながら、平等である社会が理想です。

能力による差別については、次の記事もご覧ください。

人類にとってなくすことが最も難しい差別は何か

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