「努力か、才能か」結論はでています。問題はその次です。

サワアザミ

 オリンピックで勝つためには、努力なのか才能なのかという議論があります。結論は明らかです。才能のある人が、長期間に渡り、効果的な鍛錬をやってはじめて勝てるのです。

 その競技に向いていない人が、どれほど努力しても勝てません。オリンピックの100メートル走で優勝する選手は、同じだけの努力をしてもマラソンで優勝することはできません。

 この事実を認めない人がいます。努力すれば、何でもできると言う人です。また、タブー視する風潮もあります。皆がうすうす気づいていることですが、言ってはならないことだと主張する人です。その分野に向いていない人のモチベーションを下げることを気にしているのでしょう。

 一卵性双生児と二卵性双生児を比較した研究により、人間の能力や性格など、心のはたらきと行動のあるゆる側面が遺伝子の影響を受けていることが明らかになっています。この事実を無視し、見ないようにするだけでは何にもなりません。

 それでは、この事実に対して人はどうすることが良いのでしょうか。まずは、自分の特性をきちんと把握することです。自分の知的能力、身体的能力、性格などから、何が得意で、何が苦手かを考えます。

 次に、自分の特性を活かし、他の人に役に立つことや、他の人によろこんでもらえることを考えます。そこにニーズがあります。

 スティーブン・R・コヴィーの『第8の習慣』にある「ボイス」と重なるところがあります。「ボイス」とは、才能・情熱・ニーズ・良心の重なるところです。

 自分が得意で、熱意を感じ、ニーズがあり、良いことを見つけることが大事なことです。そこに自分の努力を振り向けます。

 すなわち、遺伝の影響があることを認めることは、努力が無駄であることを意味するのではなく、自分の特性にあった分野で努力することが大切だということを意味しているのです。

 それでは、人間社会はどうあるべきなのでしょうか。世の中には、さまざまな遺伝的特性を持った人がいます。遺伝子の多様性は人類の生存のために必要なことです。遺伝子の多様性が失われると、ひとつの感染症で人類が滅亡することもあり得ます。現代社会に有利な遺伝子だけを選別するデザイナーベビーは、人類の滅亡を早めることになります。

 さまざまな遺伝的特性を持った個人が、不公平感や不公正感を持たずに平等に生活できる社会が、人類がめざすべき社会です。特定の特性を持った人だけが、巨万の富を得る可能性が高い現代社会は、平等な社会とは言えません。

 これは、ある意味で差別です。能力による差別です。このことについては、別に記事を書いています。
人類にとってなくすことが最も難しい差別は何か

 人類は、まだ能力による差別のない社会制度を見つけていません。個人は、自分の特性にあった分野を見つけ、努力することで幸福を手に入れられます。人間社会には、どのような遺伝的特性を持つ人でも、平等に暮らせるための社会的・経済的制度の探求が必要です。

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