ネットと実社会の態度の違い ― 実社会ではスルーするが、ネットでは、たたきたくなる理由

公園のサラリーマン

 実社会で非常識な人を見てもスルーする人が、なぜネットでは非常識な人をたたきたくなるのでしょうか。

 実社会では儀礼的無関心が働くためだという説があります。

インターネットの変遷 ~儀礼的無関心~

 実社会では電車の中などで他人をじろじろ見ませんが、ネットではいくらでも他者を観察できるからだということです。ネットでは儀礼的無関心を払う必要はないからだということです。

 もし、実際にコンビニの冷蔵庫に入っている若者を見たらどうするでしょうか。客としてコンビニに来ているだけならば、スルーするかもしれません。

 何か言った場合には、逆切れされて怪我をするリスクがあるのに対し、スルーしても自分にデメリットは何もないからです。もし、経営者が知り合いであれば、若者の行動を伝えるかもしれません。経営者が見つけたならば即座に首にするでしょう。

 仮に、コンビニの冷蔵庫に入るということではなく、殺人などのもっと凶悪な事件であれば、警察に連絡します。この違いはどこにあるのでしょうか。

 それは、コンビニの冷蔵庫に入るということが、警察に連絡するほどのことではないと、考えるからです。

 そう考えると、儀礼的無関心とは少し違うように思います。

 実社会では警察を呼ぶほどのことではないと考えることに対して、ネットではなぜ、たたくかという問題です。

 実社会で警察を呼ぶ手間に比べて、ネットでたたくことがはるかに容易で、自分の負担にもならないと思えるからです。

 実社会の問題では、自分は無関係ではいられません。警察を呼べば事情を説明しなければなりません。場合によっては、逆恨みされるかもしれません。

 ところが、ネットでは自分は無関係でいられるように感じます。そのため、自分の言いたいことをいう人が現れます。

 このネットでは、自分は無関係の第三者で安全地帯にいるという感覚が、実社会で非常識な人を見てもスルーする人が、ネットでは非常識な人をたたきたくなる理由です。

 この感覚は、テレビを見ている感覚と同じです。テレビでどんなに悲惨な事件を報道していても自分は無関係でいられると思うこと同じです。

 インターネットが普及し始めた1990年代後半、テレビを見ながら、2ちゃんねるの実況板に感想を書きこんでいた人たちがいました。

 それが、テレビを見る感覚とネットに書き込む感覚を同じものに感じさせ、さらに群集心理により、極端で凶暴な言動を引き起こすことになったと思います。

 実際には、ネットは無関係な第三者でいられる場ではありません。匿名に思えても個人の特定は可能であり、脅迫罪や業務妨害罪もなりたちます。

 実社会で非常識な人を見てもスルーする人が、ネットでは非常識な人をたたきたくなる理由は、ネットでは自分は安全地帯にいるという感覚を持てるためです。

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