『ソフトバンク 孫正義を成功に導いた3つの発想法 (まんがで学ぶ 成功企業の仕事術)』は、孫正義さんの起業時からのまんがで描かれた伝記です。
孫さんと私はほぼ同年代です。孫さんの名前を初めて聞いたのはいつだったのか覚えていません。2001年にソフトバンクがADSL事業への参入を発表したころかもしれません。
孫さんは1981年に(株)日本ソフトバンクを設立していますが、その頃は本書にも出てくる西和彦さんの名前をよく聞きました。
本書を読み、同年代の孫さんと私とどこが違うかという観点からまとめてみます。
事業欲
一番の違いは事業家になろうという意欲です。
本書によれば、孫さんは高校生のときに事業家になることを決意し、高校を中退して米国に留学しています。
それまでは、教員志望でしたが、韓国籍の孫さんは日本の教師になれないとわかったことがきっかけのように描かれています。
私は、高校生の時は将来のことは何もわかりませんでした。
幼少の時から病気がちであったため、中学生までは人並みに健康になることだけを考えていました。
地元の公立高校に入学したころには、なんとか人並みに健康になりましたが、クラブ活動と勉強だけをする生活を送っていました。将来のことを考えることはありませんでした。
高校時代の同級生の中には、東大法学部に入り、大蔵省事務次官になると言っていた人がいました。そのころの私には大蔵省事務次官がどのような仕事であるかも、東大法学部との関係もわかっていませんでした。
ただ同級生に将来のことを考えている人がいるということと、自分は将来のことがなにもわかっていないということを認識したことだけが記憶に残っています。
私は、世の中にはどういう仕事があり、どういう働き方があるのか全然わからないまま、理科系の科目が好きで得意だということで、大学の工学部を進学先に選びました。
前進力
本書には、孫さんが発明した音声付き電子翻訳機の話が紹介されています。孫さんは、音声合成と辞書と液晶ディスプレイから思いつきます。
試作機を作るために、音声合成機の権威である博士に、試作機が完成したら企業に売り込み、その契約金から報酬を支払うという条件で協力を依頼しています。
試作機の完成後、企業に売り込みに行きますが、はじめはどこでも断られました。最後のシャープと契約に成功します。
当時の技術で作れる音声付き電子翻訳機は、おもちゃのようなもので実用化には程遠いものであることは孫さんにもわかっていたと思います。
それでも、音声合成の権威である博士に協力を要請したり、企業に売り込みに行けるところがすごいところです。
私であったならば、おもちゃ程度のものしかできないとわかった時点で、人に協力を要請したりすることができません。
インベーダーゲームの話も感心しました。1979年に日本で大流行したインベーダーゲームのブーム終了後、在庫の山を格安で買いとり米国で売り、半年で1億円の利益を得たそうです。
私も同時代を生きていましたが、全く思いもよらないことでした。
押しの強さ
本書によると、孫さんは(株)日本ソフトバンク起業後、取引実績も商品もないにもかかわらず、情熱だけで上新電機の社長に独占供給契約を迫っています。
その後、当時日本一のソフトメーカーであったハドソンとの独占販売契約の手付金3000万円を用意するために、第一勧銀に1億円の融資を保証人も担保もなしで、これも情熱だけで要請しています。
このあたりも私には真似のできないことです。私は情熱だけで人を説得したことがありません。相手が納得するだけの裏付けがなくては、説得が難しいと考えてしまいます。
最後に
本書の前半では、宝探しの地図とコンパスにあたるとしてコムデックスとジフ・デイビスの買収が華々しく描かれています。しかし、損切りで売却したことが後半でさらりと触れられています。
損益でマイナスだったとしても、情報産業制覇のための地図とコンパスの役割を果たしたのかどうかわかりません。
損益でマイナスだっただけでなく、情報産業制覇にも役に立たなかったのかどうか気になるところです。
キングストンも損切りで売却し、ナスダック・ジャパン、ゲームバンク、スピードネットも撤退し、あおぞら銀行株も売却しています。
これらは、ソフトバンクの失敗例として捉えてよいのでしょうか?