昔から努力する人を揶揄する人がいました。
小学校ではガリ勉という言葉がありました。私のまわりでは、皆と遊ばずに勉強して、学校の成績を上げることを考えているというニュアンスでした。
ガリ勉と言われたくないために、皆と遊ぶということもありました。
今から考えれば、ガリ勉という言葉は劣等感の裏返しです。
自分が学校の成績では追いつけない人に対して、勉強ばかりしているから成績がいいので、自分は勉強だけでなく、きちんと遊んでいるから追いつけないのだと合理化しています。自分も勉強だけしていれば追いつけるのだと、自分に納得させたい心理がそう考えさせます。
中学校に行くとガリ勉という言葉を使う人はいなくなりました。クラブ活動で毎日練習するため、小学生のように遊ぶ時間は無くなりました。あいつは一緒に遊ばないから成績がいいのだという理由付けができなくなったからでした。
高校に行くと、学校の勉強以外にやっていることを競う雰囲気がありました。
ある人は毎日遅くまでクラブ活動をやっていました。FEN(Far East Network:米軍の極東放送網)を聞いている人もいました。『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』、『ツァラトゥストラはかく語りき』などを読んでいる人もいました。もちろん、それをひけらかすような恥ずかしいことは誰もしません。
受験勉強だけではなく、それ以上のことをやる余裕があることを自分で確認したかったのだと思います。
そのうち、社会には、「身の程を知れ」「分をわきまえろ」と言う人がいることに気づきました。学校にはいない人たちでした。
貧乏人の子供は社会で成功することなど考えず、親と同程度の学校へ行って、親と同じ仕事をやれという意味にとれました。
既得権者が貧乏人の台頭に危機意識を持っている現れだと思いました。
最近は、「キャリアポルノ」や「意識高い系」という言葉を聞くことがあります。
「キャリアポルノ」は、『キャリアポルノは人生の無駄だ (朝日新書)』(谷本真由美著)によると、キャリアにおける代償行為として自己啓発書を読むことです。
この意味では、キャリアポルノは人生の無駄と言えます。しかし、自己啓発書などで勉強すること自体を揶揄して使われることが多い言葉です。
「意識高い系」もセルフブランディング、人脈づくり、読書、勉強会などに精を出していても、実力が伴わない人を指している言葉です。
しかし、社会的・経済的地位の上昇をめざし努力する人を揶揄して使われています。
「キャリアポルノ」も「意識高い系」も、「身の程を知れ」「分をわきまえろ」と同種の言葉です。
恵まれた立場にいる人が、そうでない人の努力を揶揄している言葉です。その裏には、自分の立場が脅かされる恐怖が隠れています。
「キャリアポルノ」や「意識高い系」のような言葉に惑わされずに、目標を適切に定め、努力を続けることは大切なことです。