偏った情報は見たくないという人がいました。さて、偏った情報か、偏っていない情報か、どのようにして判断できるでしょうか? 偏っていない情報を得るためにはどうすれば良いのでしょうか?
偏った情報とは
偏った情報とはどのような情報でしょうか?
人類の歴史を考えてみれば、常識と言われるものは変わっています。
江戸時代は武士が一番偉いとされました。それが常識でした。
しかし、明治維新で世の中の考えがガラリと変わりました。髷をゆう人もいなくなりました。さらに1945年の敗戦でまた大きく変わりました。
現在でも敗戦前の家族制度が理想的だと考える人がいます。もしかしたら、江戸時代の日本が理想的だと考えている人もいるのかもしれません。
逆にもっと個人主義を推し進めなければならないと考える人もいます。
いつの時代でもさまざまな考え方があります。しかも、多くの人の考え方や中心となる考え方が少しづつ変わっていきます。
そのように考えれば、考え方を偏っている、偏っていないと分けることが無意味であることが分かります。
考え方が違えば同じものを見ても見え方が違ってきます。すべての見方には、見る人のフィルターがかかっています。
すなわち、すべての情報は偏っていると考えることが妥当な考えとなります。
偏った情報の海の中で
すべての情報が偏っているとしたら、私たちはどのように判断すべきでしょうか?
できるだけ広く情報を集め、事実と照らし合わせ、どれが妥当かを判断することになります。
特定の集団の閉ざされた情報だけで、妥当な判断をすることは困難です。
若い人の中には、それまで自分の知らない情報に触れると、これこそ隠されていた真実だと信じてしまう人がいます。それまでの自分の考えが根底からひっくり返されたと感じます。
そうして似たような考えの人の中で生活し、同じような情報ばかりに触れていると、妥当な判断ができなくなります。
意図的に反対意見を聞き、自分で判断を下す習慣が大切です。
ネット社会での態度
ネットは世界中に開かれており、幅広い情報に触れることができます。
しかし、ネットだけを見ていれば、幅広い情報を得られるわけではありません。ネットには利用者の興味を引くように、利用者が好む情報を集めてくる働きがあります。いわゆるキュレーションを自動的に行います。
すると、ネットだけから情報収集すると、かなり偏った情報だけに触れることになります。
今の日本で幅広い情報にひととおり触れるには、紙の新聞は便利な道具です。見出しに目を走らせることにより、世の中で何が起きているのか分かります。ネットではこのスピードは出せません。
もちろん新聞は、各新聞社の考えに基づいて編集されています。いわば新聞社のフィルターがかかった情報しか掲載されません。
だからと言って新聞を排除することはおろかなことです。フィルターがかかっていることを承知で読めばいいだけです。世の中のすべての情報にはフィルターがかかっています。
むしろ新聞社の特性を知ることにより、どのようなフィルターがかかっているかをあらかじめ知っておくことができます。その意味で、事実がどこにあるかがわかりやすい媒体です。
新聞を隅から隅まで読んでいては時間がかかります。それは賢い新聞の読み方ではありません。見出しだけを見て興味を持った記事だけを読むことが効率的な読み方です。
ネットの時代こそ、紙の新聞で幅広く情報収集することが必要です。
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ネット、テレビ、新聞、雑誌、書籍、あなたはどこから情報を得ますか?