オリンピックでわざと負けることは許されるか | 定年起業のためのウェブコンサルティング

オリンピックでわざと負けることは許されるか

 オリンピックでわざと負けたことが、「試合に勝つために最大限の努力をせず」、「明らかに競技を冒とくする、または競技に悪影響を及ぼす行動を取り」、行動規範に違反したとして失格になるということがありました。わざと負けないとしても、引き分け狙いでゲームをするということもありました。

 いろいろな意見がありますが、意見の異なる人の間では、意見がまったくかみ合わないようです。意見がかみ合わないのは、オリンピックに対する考え方が明確になっていないためです。

 オリンピックの意義を国威発揚のためにメダルをとることと考えると、決勝トーナメントの組み合わせを有利にするために、予選リーグでわざと負けることは当然の戦略となります。まずかったのは、行動規範にわざと負けることを許さない記述があることを見落としていたことです。また、競技スタッフもわざと負けることが有利になり得る運営をしたことがまずいといえます。

 オリンピックをプロスポーツと同じように最高の技術を見せるためのエンターテイメントと考えると、入場料を支払っている観客に対して、わざと負けることは、許されません。また、わざと負けることが有利になりえる運営をした競技スタッフも責められるべきです。

 オリンピックを、スポーツを楽しむための祭典と考えた場合も、わざと負けることは許されません。わざと負けることは、選手にとっても観客にとってもおもしろくないからです。この場合の競技スタッフは、スポーツをしたり、見たりする場を提供するだけで任務を果たしているといえます。

 ざっと考えてもオリンピックに対する考え方はこれだけあります。ひとりの人が、あるときはオリンピックを国威発揚の場と考え、別の時はスポーツの祭典と考えたりすることもあるので、話はよけいわからなくなります。

 この話をするときは、オリンピックは何のために行うか、お互いの考えを明確にすれば、話の混乱は避けられます。国威発揚の場と考えるか、エンターテイメントと考えるか、スポーツの祭典と考えるか、考えが明確になれば、自分の考えとの違いは、オリンピックに対する意見の違いという対応ができます。

 私は、オリンピックはエンターテイメントとしてやっていくことがいいと思います。国威発揚の場と考えることは時代錯誤と感じ、スポーツの祭典と考えるには商業主義に浸かりすぎています。

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