先生と生徒は平等か?

 「先生と生徒は平等か」という議論がありました。親と子でも同じことがいえます。

 平等ではあり得ないという論では、知識において先生は生徒より優れた存在ですから平等ではあり得ないという理屈です。戦後、日教組が「人間はみな平等」というおかしな平等意識を作り上げたという人もいます。

 しかし、これは「平等」という言葉の定義の問題です。「平等」を同じ扱いをすると捉えると先生と生徒は平等ではあり得ないという論がなりたちます。

 しかし、普通はフランス革命で「自由、平等、友愛」といわれたように、人間としての普遍的な原理のひとつとして使われます。その意味では、人間は平等です。これは、人類が目指すべきあるべき姿だと思います。世の中から差別をなくすことは、極めて困難ですが、それでも人間は平等であるべきです。

 しかも、人間は誰一人同じではありません。背の高い人もいれば低い人もいます。知的能力に優れた人もいれば、身体能力に優れた人もいます。そのため、平等とは機会の平等の意味となります。

 ここで親と子、先生と生徒の関係を考えてみます。親と子、先生と生徒も平等であるべきです。しかし、平等であるべきということは、同じ扱いをしろということではありません。親は子を養う義務があり、人生経験も豊富です。学校において、先生は生徒を教える立場にあり、専門教科においては知識や経験が豊富です。

 立場が異なるから平等でなくて当然という考えは、そのまま拡大していくと差別の固定化につながります。先生と生徒、親と子、夫と妻、地主と小作農、貴族と平民、武士と農民・・・と立場が異なるから平等でなくて当然となっていきます。

 ここは、人はすべて平等であるべきで、立場の違いは人の属性からくる役割の違いであるか、社会が未熟であるために差別が残っているために発生していると考えることが妥当です。

 平等とは同じ扱いをすることではありません。「先生と生徒は平等ではあり得ない」という主張は、「平等」という言葉を非常に狭い意味で捉えた、こじつけに近いものです。

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