日本の官僚が堕落する原因は、その人事制度にあります。ある省庁に入るとそこから変わることはありません。そのため、各省庁のなかに自分たちの生活を守る仕組みができあがってしまいます。高い志を持って入ってきた若者も、先輩たちの省益優先の言動を見聞きし、はじめは違和感を持っても、自らも繰り返すうちにそれが当たり前のことになっていきます。何十年も縦割りの世界に浸っていると、それに慣れ、異常な世界であることに疑問ももたなくなります。
さらに、官僚は、省益を拡大し、天下りのポストをどれだけ作ったかという観点で評価され、縦割り組織が強化されていきます。官僚が利権拡大に励むようになる理由には「つねにほめられたい」との欲求が強いことにあると、著者の私見として述べられています。
それにしても国家公務員がどうしてここまで省益優先の行動をとるようになってしまうのか、納得がいきません。民間企業でもセクショナリズムは多かれ少なかれあるでしょうが、少なくとも会社の利益のためという大義名分には逆らわないはずです。会社の利益よりも部門の利益を優先する行動が会社内で評価されることは、少なくとも表向きはないのではないでしょうか。
ところが、官僚は違うようです。国民の利益よりも省益のほうが優先され、それが評価につながることがまかり通っています。
国家公務員を、省庁をまたがって異動させる。これが、解決策のように思えます。著者は「内閣人事局」を新設し、幹部職員の人事についてはどこに配属されるかわからないと、とりきめることを主張していますが、幹部職員に限らず、省庁間の異動をあたりまえにするだけで、これらの問題は解決します。やみくもにいろいろな省庁を転々とさせるだけでは、仕事を覚えるという意味で非効率ですが、一人の官僚が、その官僚人生のなかで複数の省庁を経験するということは、本人にとっても経験の幅を広げるという意味で有益です。
著者は、「実力主義の採用」を解決策のひとつにあげていますが、これは疑問です。民間企業でもうまくいっているとはいえません。実力の評価が難しく、ごますりのうまい人が高く評価されるということが避けられません。国家公務員でも、部長になる人、局長になる人、事務次官になる人を選択しているということは、実力があるとの評価がどこかでされているはずです。それが、たとえ省益拡大の実力だとしてもです。そうすると、大切なのは、「実力主義の採用」ではなく、「実力」の評価方法です。省益拡大という省への忠誠心の「実力」から国民の利益への寄与度の「実力」への転換が必要です。
「身分保障の廃止」も解決策のひとつとしています。降格や減給があり得るという意味では有効ですが、クビにすることは民間企業でも日本では簡単にはできません。
天下りの廃止はさらに難しくなります。民間企業でも、親会社の人が子会社の社長や役員となることは、めずらしくありません。組織が、ピラミッド型であるため、昇格に伴い人数を減らさざるを得ません。昇格しない人を組織の外に出し、独法や公益法人などに天下りさせていますが、高齢者の処遇の問題です。