ちきりんさんへの反論「下から7割の人のための中・高等教育」 | 定年起業のためのウェブコンサルティング

ちきりんさんへの反論「下から7割の人のための中・高等教育」

勉強

 ちきりんさんが、『下から7割の人のための理科&算数教育 – Chikirinの日記』という記事を書いていますので、思うところをまとめてみます。

 いろいろな議論がありますが、私が気になったのは、理科&算数に限った話ではないということです。

 ちきりんさんは、理数系が苦手なため、中学・高校での理科や算数&数学授業を受けなくても、これまでの人生において、たぶん何の問題もなかったと言っています。

 しかし、理科や算数&数学だけでなく、国語や社会、英語、音楽、美術、体育についても、中学・高校での授業を受けなくても、人生に何の問題もなかった人は、どの科目においてもある一定数はいます。

 数学や理科に関しては、下から7割の人は学ぶ必要がないということです。7割が妥当かどうかわかりませんが、数字はあまり問題ではありません。科目により学ぶ必要がない人の割合も違います。

 漢文や古典は、ちきりんさんも書いていますが、9割近くの人は学ぶ必要がないのではないでしょうか。歴史や地理では下から5割、英語でも下から7割、音楽・美術・体育では下から7割ぐらいの人は、中学・高校で授業を受けなくても人生に何の問題もないのではないでしょうか。

 このように言うと、理数系が得意な人がちきりんさんに感じた違和感を、理数系が得意でない人も感じることができると思います。

 中学生の段階で不得意だからといって、切り捨ててしまっていいのかと思うかもしれません。将来の可能性を自ら狭めることになるかもしれません。

 でも、実際には中学生になれば、得意なことと苦手なことはかなり自覚しています。自分の得意なことにより多くの時間を割けば良いのです。

 私自身についていえば、中学の音楽の授業を受けなくても、人生に何の問題もなかったと言えます。音楽についていえば、私は下から3割には入っていたと思います。高校では音楽を選択せずにすみましたので、助かりました。

 高校は義務教育ではありませんから、高校の教育が無駄と考えれば、行かないこともできます。普通科以外に、工業科、商業科などの選択肢もあります。

 考えるべきことは、中学の授業も選択性にするということと、高校普通科の選択肢をもっと多様に、柔軟にするということです。

 それぞれの分野の専門家からは、中学で教えているようなことは、全員が学ぶべきことだという意見がでてきそうです。

 高校についても、一般教養として知っておくべきことが教えられていると主張されそうです。

 ある分野に優れた才能を示す人に、より高度な教育を施すことについては、異論は少ないようです。意見が異なるのは、各科目において中学・高校で必須として教えるべき内容です。

 ちきりんさんは、「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいと言っています。ここは、私がちきりんさんと意見が異なるところです。

 ちきりんさんがあげている例は、生活に密着している分、技術の進歩などにより、すぐに変わるものです。今問題になっていることは、私が中学のときには存在していませんでした。逆に、今中学で教えても、今の中学生が大人になったときには役に立たなくなる可能性が高いものです。

 中学、高校で必須科目として教えるべきことは、もっと基本的な科学的なものの見方や考え方です。過去に人類がどのような失敗をして、どのように解決したか、あるいはいまだに解決できていないかということです。ちきりんさんと私は、科学リテラシーが必要なことでは意見が一致していますが、科学リテラシーの内容が違います。

 数学については、大学入試の存在が、数学をつまらない、役に立ちそうにないものにしています。高校数学は大学入試問題の解き方になりがちです。私の高校時代も、数学の面白さを教える授業をする教師がいて、私は好きでしたが、他の生徒にはあまり人気がありませんでした。

 英語についても中学・高校で必須で教えるべきことには多様な意見があります。古文や漢文、歴史、地理、音楽、美術、体育についても中学・高校で必須として教えるべき内容についての議論が深まればおもしろいと思います。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローはこちらからお願いします。