『投資家が「お金」よりも大切にしていること (星海社新書)』は、多くの人の投資に対する考え方を変える本だと思います。是非、読むことをお勧めします。
しかし、少し気になるところもあります。そこに触れながら紹介します。
お金儲け=悪
日本人の多くは「投資=ダーティー」「お金儲け=悪」というイメージを持っているということです。
しかし、これは日本人に限らないと思います。
新約聖書マタイ伝19章に次の言葉があります。
「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」
金銀財宝のすべてを分け与えなくては、金持ちは天国に行くことはできないと教えています。
ベニスの商人でも、金持ちのシャイロックは悪く描かれています。イソップ物語にも「金の斧、銀の斧」や「骨をくわえた犬」などの話があります。
「お金儲け=悪」というイメージは、金銭欲や物欲を戒めるために、昔から世界中にあるものです。
ただし、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で反論しました。世俗的禁欲を持って天職に励み利潤を得ることは、安くて良質な商品やサービスを人々に提供するという隣人愛の実践の結果だと説明したのです。資本主義の利益追求がプロテスタントの考えに根ざしているとしました。その結果、欧米社会では、日本よりも「お金儲け=悪」というイメージが弱くなったのです。
寄附
日本の成人1人あたりの寄附金額は、米国の52分の1ということです。米国では年収2万5000ドル以下の人でも年収の4.2%を寄附しているということですから、お金持ちだけが寄附をしているわけではありません。
日本は寄附を行わない文化だということには同意します。
私のことを言えば、うさんくさい寄附金集めが多く、寄附をする気にならないということはあります。人の多い交差点の近くなどでは、恵まれない人への寄附を求めて声をかけてくる人が昔からいます。最近は、福島の捨てられたペットを助けるという寄附金集めを駅の近くでよく見かけます。どちらも芳しくないうわさも耳にします。何よりも寄附金がどのように使われているかというフィードバックがありません。
しかし、きちんとしたフィードバックをしている団体もありますから、これは言い訳に過ぎません。日本人に寄附をするという文化が根づかない理由は、私もよくわかりません。
【2015年5月12日追記】
米国で寄附が多い理由は、新約聖書の「(金持ちは)金銀財宝のすべてを分け与えなくては、金持ちは天国に行くことはできない」という部分を、金持ちでも寄付をすれば天国に行けるととらえている人が多いためではないかと推測できます。つまり、神の教えに従って寄附をしているということです。
【2015年5月12日追記ここまで】
ヒーローは公務員
日本のテレビや映画から生まれた多くのヒーローは権力者や公務員です。ウルトラマン、「太陽にほえろ!」「遠山の金さん」「水戸黄門」などです。これに対して、米国のヒーローは基本的に民間人です。スーパーマン、スパイダーマン、バットマンなどです。
日本でもマンガから生まれたヒーローは民間人です。仮面ライダー、タイガーマスク、ブラック・ジャックなどです。
これは、日本のテレビや映画が権力者におもねっていることを示すものであり、それ以上のものではないと思います。米国では悪を倒すのは民間人で、日本では公務員ということを示しているものではありません。
日本のテレビ・映画とマンガでは、ここまできれいにヒーローの描かれ方が分かれるのかと、新しい気づきを得ました。
清貧の思想
「清貧の思想」が本来の思想とはかけ離れた解釈で日本人に根づいているとしています。「理念に生きるために、あえて豊かな生活を拒否する」という思想が、「豊かになるためには、理念を捨てて汚れなければいけない」という考え方に変わっていると書かれています。
これは、「お金儲け=悪」から連想される考え方です。「豊かになるためには、理念を捨てて汚れても仕方がない」という考え方から変化したものです。この考え方が日本にあることは否定しません。
しかし、他の国にはないことでしょうか?「お金儲け=悪」という考えは世界中にあります。やはり「豊かになるためには、理念を捨てて汚れても仕方がない」という考え方も世界中にあります。
世界中にある勧善懲悪物語のダークサイドの人物は、「豊かになるためには、理念を捨てて汚れても仕方がない」と考えて、暗黒面に落ちたのではないでしょうか?
おわりに
「お金儲け=悪」や「豊かになるためには、理念を捨てて汚れても仕方がない」という考え方は、日本独特のものではなく、世界中にあり人類に一般的なものです。
「お金儲け=悪」は、金銭欲や物欲にとらわれると人は醜悪になるため、それを戒めるために生まれた考え方です。
「豊かになるためには、理念を捨てて汚れても仕方がない」は、理念だけで人は生きられない、生きていくためには理念を捨てることもやむを得ないという考えが基礎にあります。
人類の普遍的な性質を日本人の特質としていることは誤りです。
しかし、「豊かになるためには、理念を捨てて汚れなければいけない」という考え方が間違っていることは同意します。清らかで豊かになる「清豊の思想」こそ、目指すべきものです。
お金は価値を創造するところから生まれるものです。お金は、世の中が認める価値を創造し、それを提供することにより、その対価として得られるものです。
投資は「お金」ではなく「エネルギー」のやり取りということですが、エネルギーを投入すべきものは、価値を生み出すものでなければ意味がありません。
人類の一般的な性質を日本独特のものとしているところは残念ですが、それ以外のところは多くの人に新しい気づきを与える本だと思います。