ブログで収益を公開する人がいます。それに対し、不快感を表す人もいます。
私は、収益を公開しているブログ記事について、特に不快感は感じません。あまり公にされていない具体的な数字が示されているので、参考になると思って見ています。
ブログの人気がでてきたり、記事がブレイクしたりしたときに、うれしくてブログに書いているのだと思います。
このブログで収益が得られるものは、本を紹介するときに使っている『ヨメレバ』ぐらいです。『ヨメレバ』は、Amazonの紙の本とKindle、楽天、図書館のリンクをいっぺんに貼れるので使っています。
現在のところ、このブログでアフィリエイトをしてもたいしたお金にはならず、それよりは読者を増やした方がいいと考えています。
将来は、アフィリエイトを自分で試してみる意味で、やってみることはあると思っています。
お金の話になぜ不快感を感じるのか
なぜ、お金の話に不快感を感じるのでしょうか?
お金はいやしいもの、汚いものという意識があるためです。江戸時代から「武士は食わねど高楊枝」「宵越しの金は持たない」など、お金を軽んじる言葉があります。
これを日本人独特の感覚のように言う人もいますが、そうではありません。
新約聖書マタイ伝19章に「金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るよりも難しい」とあります。金持ちは、金銀財宝をすべて分け与えなくては天国に行けないと教えています。
ベニスの商人のシャイロック、イソップ物語の「金の斧、銀の斧」、「骨をくわえた犬」など、金銭欲、物欲を戒める物語は昔から世界中にあります。
ただし、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で反論したため、近代以降の西洋では、お金は汚いというイメージは弱まっています。
マックス・ウェーバーは、仕事で利潤を得ることは、安くて良質な商品やサービスを人々に提供するという隣人愛の実践の結果だと説明しています。
お金に対する呪縛を開放する
最近は見ることが少なくなりましたが、数年前には、お金はいやしい、汚いという感覚を断ち切ろうという、高額セミナーが流行っていました。
私は参加したことがないので詳しくはわかりませんが、広告などを見る限り、「お金儲け=悪」という呪縛から解放されることを強調しているようでした。
ブログでの収益の公開には嫌悪感を感じない私でも、あまり「お金」「お金」と連呼されると違和感を覚えました。
お金に対する考え方
お金は価値を創造した結果、手に入るものです。
世の中で必要とされる価値を創造し、それを提供すれば、お金はその対価として得られます。お金は価値を交換するための道具であり、それ自体はいやしくも汚くもありません。
価値を創造し提供することなしに、お金を得ようという意図や行動が、いやしく汚いものになります。