以前、『日本人はなぜ宗教に寛容か』という記事を書きました。結論として、宗教を深い精神的なところまで受け入れていないからだとしたのですが、なぜ、深い精神的なところまで受け入れないのかという疑問が残ります。
さらに、欧米のキリスト教徒は実際にどこまでキリスト教を信じているのか、中近東のイスラム教徒はどこまでイスラム教を信じているのかも疑問になってきます。
自分を振り返って、どの宗教も深い精神的なところ底まで入り込まない理由としては、第一に子供の時からさまざまな宗教に触れてきたためだということがあります。神道、儒教、仏教、キリスト教に生活のさまざまな面で触れています。だから、どの宗教もお互いに足を引っ張って、深い精神的なところ底までは入り込めないような感じです。
お互いの足を引っ張ってという表現は適切ではないかもしれません。メタ意識があって、どの宗教も見下ろしながら、「神道ではそう考えるけど、キリスト教では似ているが少し違う概念だな」などと値踏みしている感じです。そして、どの宗教も似たり寄ったりで、どれかの宗教に帰依するなどということは考えられなくなっています。
もう一つは、神に祈らざるを得ないような体験をしていないから、宗教を信じるということがわからないのかもしれないとも考えられます。神に祈らざるを得ないような体験をすれば、宗教を信じるようになるのかもしれないと考えました。
しかし、『夜と霧』を書いたフランクルは、ユダヤ教徒ですが、アウシュビッツ収容所で神に祈ることなどしていませんでした。少なくとも、『夜と霧』には神に祈ったとは書いていません。彼は冷徹にナチス兵にも良い人間と悪い人間がいると観察し、生き延びることだけを考えていました。決して、神に頼ったりはしていませんでした。
他にもユダヤ人捕虜収容所の経験を書き残している『愛する者の名において』マルタン・グレイや『希望の血』サミュエル・ピサールも神に祈ったなどとは書いていません。過酷な現実と向かい合った時にそれを克服できるのは、神に祈ることではなく、現実を冷静に分析し勇気を持って行動することであり、それができる人が生き残ったのだと思います。
そう考えると宗教とは弱者のための麻薬ともいえます。マルクスの「宗教はアヘン」は、正鵠を得ています。宗教を信じない理由は、古今東西の宗教に関して十分な知識を持っているためであり、宗教を信じる人は十分な知識を所有していないためにその宗教に帰依してしまうと考えられます。
日本人が宗教に寛容なのは、形式を取り入れているだけで、それ以上深い精神的なところまで受け入れていないためであり、深い精神的なところまで受け入れていない理由は、日本の教育が数百年前から世界最高だったため、宗教に関して十分な知識を持っていたせいかもしれません。
江戸時代の日本人が古今東西の宗教について、どれほどの知識を持っていたのか調べてみようかと思います。