ライフログは人を「死」から解放するか?

 人は二度死ぬといいます。一度目は実際の死、二度目は生きている人たちに忘れ去られる「死」です。ライフログは、二度目の「死」をなくしてしまうものかもしれません。

 学生時代に文学の講義で森鴎外の『渋江抽斎』を読んだとき、抽斎の記録を発掘していく場面を、先生が感動的と評したことを妙に覚えています。鴎外は、抽斎の二度目の死をよみがえらせたということです。一人の忘れられた人生が、別な人間によって再発見されました。その過程が感動的だということでした。

 私には正直なところ、なにが感動的なのかわかりませんでした。死んでしまったら、生きている人から覚えてもらっていようがいまいが、あまり関係ないと感じていました。

 最近、ライフログという言葉を耳にすることが多くなりました。生きている記録を電子的に、なんでも残そうという活動です。旅行などの記録だけではなく、朝起きた時刻から床に就く時刻まで、日常的な記録を含めて、残せる記録は何でも残します。それが可能なサービスが多数でてきました。

 サービスはいつか止められてしまうかもしれません。それを避けるために、自分のサーバにすべてを記録しておいても、自分の死後も遺族が管理を継続できるかという問題はあります。

 しかし、電子的に記録を残し、きちんと管理される仕組みを作っておけば、抽斎に対する鴎外の役割を担う人物の登場を待つ必要はなくなります。自分が死んだあとでも、誰もが必要に応じて、自分の記録にアクセスでき、自分が生きていたことを確認できます。人類にとって二度目の「死」はなくなるのかもしれません。技術の進歩はそんな世の中を実現しています。

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