見た目の重要性 | 定年起業のためのウェブコンサルティング

見た目の重要性

バラ

 人は初めて会った時に、第一印象で九割方判断すると言います。ものを買うときも外見がきれいなものに引かれます。

 人が美しいものに魅力を感じるのは、生存のために美しいものが役に立つからです。美しい人は健康であり、健康であることは、長生きを意味します。病的なものを美しいと感じることもありますが、そのように感じる精神が病んでいると考えられます。

 ものも洗練された機能は機能美を感じさせます。美しいものは、心に安らぎを与えます。自分に役に立つものを自然に美しいと感じるようになっています。

 私の父は、外見を飾ることを極度に嫌っていました。外見などどうでも良い、問題は中身だという考えの持ち主でした。私が小学生のころは、親が買ってきた服をそのまま着ていました。それで何も感じませんでした。

 中学、高校では、ほとんど制服で過ごしていましたが、休日には親の買ってきた気に入らない服を着ることもありました。気に入らないそぶりを見せると、いつも父にしかられました。「服装なんて気にするな、中身がきちんとしてれば良い」のだといつも言われていました。

 そのため自分で働くようになり、自分の着る服を自分で買えるようになったときは、正直ほっとしました。もう親の買ってきた気に入らない服を着なくてもすむのだと思いました。

 身の回りのものも同じです。小学生時代は、机は親戚からもらったもので、本や文房具も親が買っていました。高校に入ると自分の読みたい本を自分で買うようになりました。自分ですきまを見つけては、本棚を作ったり、段ボール箱を積み重ねたりして、本を収納していました。

 家を建て直し、スペースに余裕が出てくると、自分で机や本棚などの家具や電気製品なども買うようになりました。すると自分の好きなものを買うようになります。自分の好きなもので身の回りのものをそろえると、自分の美的感覚が研ぎすまされるような気持ちになりました。

 しかし、その時は既に20代でした。自分でも遅すぎると感じました。もし、子供の時から自分の好きなもので身の回りのものをそろえていたら、自分の感覚も違ったものになったと思います。

 芸術作品に触れることは、創作の糧となります。子供の時から美しいものに接触していることで、子供の美的感覚も育まれます。

 当然、経済的余裕がなければできません。私の家では不可能でした。日本経済の高度成長期は、格差がどんどん消えていった時代ですが、それでも引きずるものがあることに気づきました。

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