タリバーン幹部からマララさんへの手紙というものをネットで見かけました。手紙はマララさんが国連本部で行ったスピーチに対する反論として書かれたものです。
タリバーンは女性の教育に反対しているのではなく、マララさんが反イスラムのプロパガンダをしているから襲撃したと書いています。
西欧社会とイスラム社会の歴史の一面に触れた後、罪のないイスラムの血をこれ以上流すことのないように呼びかけています。
最後は、マララさんに対し、故郷に戻り、イスラム文化やコーランを学び、イスラムと同胞のために、新世界秩序という名のもとに人間を隷属させようとする陰謀を暴いてほしいと結んでいます。
この手紙に書かれている西欧社会とイスラム社会の歴史の一面については、筋が通っていないと考える人でも、グローバル化の名のもとに伝統的な社会や文化が失われていくことに危機感を持っている人は、複雑な気持ちになるようです。
タリバーン幹部からマララへの手紙、全訳 : TokyoScenery
しかし、反イスラムのプロパガンダをしているから襲撃するということは許されません。言論の自由は、西欧社会がグローバル化の名のもとに押し付けた思想ではありません。
自由と平等を人類の普遍的な権利と明示的にとらえたのは西欧社会が最初でした。それを根拠に、自由と平等を広める運動が、伝統的な社会や文化を破壊することを西欧社会の侵略ととらえることは誤りです。それは人類社会の進歩にほかなりません。
イスラムに限らず、西欧や日本でも自由や平等を求める運動は、伝統的な社会や文化を破壊しました。破壊された社会や文化を懐かしむ人たちがいることも事実ですが、自由や平等と共存できない以上やむを得ません。奴隷制度や家父長制度は自由や平等と共存することはできません。
一部の人はそこを間違えています。伝統的な社会や文化を無条件で保護しなければならないと考えます。そうではなく、自由や平等と共存できない制度や文化は捨て去らなければなりません。伝統には捨て去るべきものと残すべきものがあります。
問題となるとすれば、自由や平等が人類の理想とすべき思想かどうかです。100年後の人類はより優れた概念を発明しているかもしれませんが、それは誰にもわかりません。