ちきりんさんが、『理想の社会なんて信じるのはやめましょう – Chikirinの日記』というエントリを書いています。
簡単に要約すると、理想の社会を目指すからテロがおきるのであって、そもそも理想の社会なんて存在しないのだから、「理想社会なんて信じるのはやめましょう。」ということです。
ちきりんさんは、地下鉄サリン事件や1970年代の極左勢力によるハイジャックやテロを例にあげていますが、ロシア革命や文化大革命にもよくあてはまります。
これは、もう少し正確に言うと次のようになります。
人間は、理想の社会を思い描けるほど賢くはありません。人間の思い描いた社会には、人間には想像できない不具合や矛盾が存在します。それは、やってみなければわからないことです。
そんな社会を実現するために、殺し合いをすることは不幸なことです。社会の改善は暴力によるのではなく、話し合いにより実施していきましょう。そのために人類は民主主義という制度を発明したのです。
理想社会の存在を信じる、信じないの問題ではなく、人間の思い描いた社会あるいは神の啓示により示された社会が、理想の社会である保証はどこにもないということです。
理想社会を掲げることに問題があると考えることは妥当です。それは、掲げられた理想社会になんの問題もないことを誰も保障できないからです。
だからこそ、試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ改善を積み重ねていく方法が、最も望ましい方法となります。
ちきりんさんは、「理想社会を実現すべきでない理由」が見つからないから、洗脳されるとも書いています。「理想社会を実現すべきでない理由」は、その社会に問題がないかどうかは実現して見なければわからないからです。それを知っていれば、理想社会の実現のために洗脳されることはありません。
ちきりんさんは、「理想の社会が実現しないのであれば、現実を一歩たりとも変えたくない」という人たちがいるように書いていますが、そこには論理の飛躍があります。
何にでも反対する人たちは、「理想の社会が実現しないのであれば、現実を一歩たりとも変えたくない」という人ではなく、否定的な面が見えるためにそれを指摘しているだけの人です。
現実的な変革者も理想の社会を語ることはあります。それは「自由・平等・博愛」といった抽象的なものかもしれません。どの方向に社会が変化すべきかを示すものです。
そのために何をどのように変えるかという話をすると、既得権益者などから反対の声が上がります。変革が怖いために反対する人もいるでしょう。改革案にはデメリットもあるかもしれません。
変革はその中で現実的な妥協案を探りながら進んでいきます。技術の進歩が社会を変えることもあります。
以上、ちきりんさんのエントリの補足です。
【2015年2月1日 修正】
「イスラム国」のテロが彼らの理想社会を目指しているとは思えないと書いていましたが、『イスラーム国の衝撃 (文春新書)』を読み、「イスラム国」も彼らの信じる原理に従うことを理想ととらえていると思いますので、該当する記述を削除しました。