「教育は強制にはじまる」という主張があります。本来、人間は怠け者であるから、強制してしつけなければ、人間らしい行動ができないという考え方です。
食事のマナーなどは、誰かがしつけなければ、子供が自然に覚えることは、難しいでしょう。箸の持ち方などは、早い段階できちんと身につけた方が子供にとっても楽です。
食事のマナーは、文化によって異なります。例えば、日本では、ご飯は茶碗を手に持って、箸で食べます。韓国では、器をテーブルにおいたまま、スプーンで食べます。この違いは大きいです。日本で、韓国式の食べ方をすると行儀が悪くなり、韓国で日本式の食べ方をすると行儀が悪くなるわけです。このようなことは、どこかで学ばなければわかりません。
何か新しいことを学ぼうとするときには、はじめはまねをすることが上達の近道です。型から入り、基礎を身につけてから、自分なりの工夫をして、個性を発揮するというのが常道です。この意味では、はじめはいわれたとおりにやる。強制された通りにやることが大切だということも真実です。
しかし、子供は知的な興味を自然に持ちます。そして興味の方向には個人差があります。これを強制的に変えようとすることが、いい結果となるとは思えません。
アメとムチによる動機づけが、内発的動機づけに劣ることは、心理学的実験であきらかになっていることです。学習すると褒美をもらえる子供は、褒美がもらえなくなると学習しなくなります。褒美をもらわない子供は、自発的な学習を継続します。
天才といわれるような人は、決して人から強制されたことをやって大きな発明・発見をしたわけではありません。自分の興味のおもむくままに研究を進めています。
教育は強制にはじまるという考え方は、一面では真実ですが、子供の自発的な興味の方向を無理矢理変更すべきではないという観点からは、間違っているといえます。