ちきりんさんが、『学校で浪費される無駄な10年をどーにかすべき論 – Chikirinの日記』というエントリを書いています。
14歳から24歳までの中学、高校、大学の教育が「クラスの真ん中の子」に合わせているため、100人に一人ぐらいの才能を持った子供が伸びないという説です。
日本でも一部の分野では、子供の時に才能を見出し、特別な教育をする仕組みがあります。囲碁や将棋では、私が子供であった50年前でもありました。
スポーツも日本で人気のある種目や、オリンピック等で日本人が好成績を収めた種目から、仕組みが出来上がりました。野球やサッカー、フィギュアスケートなどがいい例です。
音楽も10代で国際的なコンクールで入賞する人がいるので、あるのだと思います。
数学オリンピックにも1990年から日本も参加するようになりました。
しかし、10代から特定の分野で稀有な才能を発揮しても、人間的には子供です。思春期を迎えた不安定な子供も珍しくありません。
これは、特定の分野で才能を見出された子供の教育の課題です。
また、高校、大学には入学試験があります。公立中学校では「クラスの真ん中の子」に合わせた授業を行うでしょうが、上位の高校では上位10分の1ぐらいの子供が集まります。上位の大学では同年代で上位100分の1ぐらいの学力の学生が集まります。
決して同年代の真ん中の子に合わせた授業を24歳まで受けるわけではありません。
無駄があるとしたら、中学、高校時代を受験勉強だけに費やすことです。受験勉強は合格のための勉強ですから、本来の学習と相容れない部分があります。
ちきりんさんが『自分のアタマで考えよう』で書いていたことですが、ちきりんさんにとって数学の勉強は、問題を見たらいきなり解かずに解答をみて、解答方法を覚えることだったそうです。
受験勉強の典型的弊害です。この方法は、少ない勉強時間で、受験において高得点を取るためには効率的かもしれません。しかし、数学の能力向上のためには、最悪の方法です。
しかし、誰もが受験勉強ばかりをしているわけではありません。受験には関係ないことをする余裕があることを自慢するという雰囲気もあります。
私が高校生の時も、受験雑誌に「1週間で『カラマーゾフの兄弟』と『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだ」などと投稿している人もいました。
ちきりんさんは、「15歳の時には起業していただろうという子がいる」と書いています。
新しいビジネスモデルを15歳で思いつく子供はいるかもしれません。1970年代のパソコンのような画期的な新製品を作り出す子供もいるかもしれません。
しかし、15歳で顧客やビジネスパートナーときちんとした折衝ができ、複雑なビジネス活動ができる子供がいるでしょうか?
子供の才能を無駄にしないためには、子供の時から発揮できる才能を見極め、その才能を見出し育てる仕組みを作ることです。
また、若い人の才能を商業主義でつぶさないことも重要です。
日本の教育が、14歳から24歳まで無駄になっているとは思えません。無駄があるとしたら、不適切な勉強が行われる受験勉強です。
それ以上に、高校野球や箱根駅伝のように、商業主義が若い才能をつぶしていることのほうが問題です。
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