企業の人事評価や就活では、協調性はコミュニケーション能力とならんで高く評価されます。しかし、なかには首をかしげるような話もあります。
荒れた中学校から進学校に進んだ学生は協調性がないと判断されるという話がありました。荒れた中学校は勉強する雰囲気ではありません。そこで良い成績をとって進学校に合格するためには、同級生と遊ばず、自分だけ勉強していたと推測されるそうです。そのような人は協調性がないと判断されるそうです。
これは、ふたつの意味で間違っています。公立中学校から公立高校に進学する際は、内申書が重視されます。公立中学校では、トップクラスの生徒は勉強しなくてもクラスで1番です。内申書も良くなりますから、公立の進学校に進学することは容易です。同級生と遊ばず、自分だけ勉強していたとは限りません。
仮に、同級生と遊ばずに、自分だけ勉強していたとしても、克己心が強いためで、協調性がないわけではありません。逆に同級生とよく一緒に遊ぶから協調性があるとも限りません。
太宰治の小説に似たような話があったことを記憶しています。同級生と一緒に遊ぶのは、楽しいからではありません。同級生と遊ばないと仲間はずれにされるからでもありません。遊ばないと何か友達の期待を裏切るような気がして、大事なものを失うような気がするから遊ぶのだというようなことだったと思います。ただ単に友達と遊ぶという規範に沿って行動をしているだけです。
進学率の低い高校から有名大学に入学した人も、協調性がないと言われるそうです。「鶏口となるも牛後となるなかれ」ということわざは、学校では成り立ちません。人は、環境に影響されます。つきあう人間に影響されます。同級生がみんな大学をめざしている高校と、そうでない高校では勉強のモチベーションが違ってきます。おそらく高校では、ひとりだけ飛び抜けた成績であり、勉強のモチベーションを維持するだけでもたいへんです。それを同級生と交流がなかったと推測され、協調性がないと判断されるということです。
なんとも浅はかで、人間の理解に欠けた判断です。就活での判断であるならば、学生はそのような会社に入らずに良かったといえます。
そもそも協調性というものは、高いほど良いものなのでしょうか。ビル・ゲイツもスティーブ・ジョブズも協調性が高いとは言えません。
一般に、独創的な人や数学的思考に優れた人には、協調性の高い人はあまりいません。天才といわれる人には、協調性の高い人はまずいません。世の中を変えるような製品を生み出す企業ならば、協調性の高い人ばかりを入社させていては、新しい製品を生み出せなくなります。
世の中にはさまざまなタイプの人がいます。それぞれの長所を活かして生活できる社会が望ましい社会です。特定の性格の人を切り捨てる社会は、望ましいものではありません。