現在の日本では、様々な自由が憲法で保障されています。自由が保障されるためには、それに伴うものがあります。
1.責任
日本国憲法では、思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由、表現の自由、集会の自由、結社の自由などが保障されています。平たく考えると、自分の考え、信じることは自由であり、それを表現したり、同じ考えの人が集まることも自由だということです。
自分の考え、信じることを発表したならば、その内容に責任を持つべきです。特に人を批判したり、非難したりするならば、その内容は当然として、その結果についても責任を持たなければなりません。
ネットでの発言には、このことがわかっていないものがしばしば見受けられます。ネットの発言は公開されています。テレビを見ながらひとりごとを言うのとは違います。決して無関係の第三者にはなりえません。その発言には責任を伴います。
このように考えると、ネットで匿名で行われる罵詈雑言などは、許されるものではありません。人類が長い年月をかけて勝ち取った精神の自由をないがしろにする行為といっても過言ではありません。
2.他者の自由の尊重
自分の自由が保障されるならば、当然、他者の自由も保障されるべきです。ところが、ある種の宗教は、他の宗教の存在を許容していません。神は、自らが信じる神だけが唯一絶対の神であり、それ以外の神は邪神だという考えです。
これは、信教の自由と相いれません。信教の自由が保障されるのは、他の宗教の存在も許容する宗教に限られると考えるべきではないでしょうか。
言論の自由においては、「私は、あなたの意見には反対だが、あなたがそれを言う権利は保障する」という考えに基づいています。宗教も「私は、あなたの信じる神は信じないが、あなたがその神を信じる権利は保障する」となるべきです。
まとめ
自由には、義務が伴うという主張を聞いたことがありますが、しっくりきません。言論の自由に伴う義務とは何でしょうか。言論の自由を保障する国家に対する納税の義務でしょうか。それとも、子供が自由な発想ができるように、教育を受けさせる義務でしょうか。それよりは、自由には責任と他者の自由の保障が伴うと考えた方がしっくりきます。