どこまでが指導で、どこからがパワハラにあたるのか、わからないという声があります。セクハラよりも区別が難しいと言われています。
パワハラとは
パワハラとは、仕事をする上での地位や、職場に長くいて親しい人が多いなどの有利な立場を利用して、精神的あるいは肉体的苦痛を与えることを言います。
暴力は間違いなくパワハラになります。脅迫もパワハラです。隔離したり無視したりすることもパワハラです。これらはわかりやすいパワハラです。
灰皿を投げつけることなども、仮に当たらないように投げたとしても、パワハラになります。
暴言、過大な要求、過小な要求、プライバシーの侵害などは、区別が難しくなります。
親しい相手に対しての少し乱暴な言い方が、罵声と受け取られることもあります。強い調子の言葉に委縮して、パワハラだと感じる人もいます。
過大な要求は、さらに難しくなります。実現不可能な要求をして、実現できないと減給となるとパワハラに思えます。しかし、業績の悪い会社では、やむを得ないことでもありそうです。
仕事の無くなってきた会社では、過小な要求しかできないかもしれません。
プライバシーの問題でも、部下が何か悩みを抱えているようなときには、注意深い対応が必要です。
厳しい指導とは
指導とは、相手のためにやることです。相手が成長するために有効なことをやります。
相手によっては、「何くそっ」と発奮することを期待して、乱暴な言葉を使うこともあります。
別な相手には、委縮しないように、ていねいに対応します。
いずれも相手を理解して、相手にとって最善の結果となるような働きかけをした結果です。
そこには、暴力や脅迫は不要です。暴力を愛の鞭などという言い訳を許してはなりません。
指導とは、相手に合わせて行うものである以上、相手がパワハラだと感じたら、パワハラと言えます。
それを逆手にとり、あらゆる指導をパワハラだという相手に対しては、指導ができないことになります。そのような相手は指導を受ける機会を失い、進歩するチャンスを逃すだけです。
時代による違い
現代の感覚で言えばパワハラにあたることが、以前は問題にされなかったということがあります。
時代により、人々の考え方、感じ方が変わってきたため、昔は何の問題もなかったことが、現代では問題になります。
江戸時代は、現代よりも人の命が軽んじられていました。それを現代の感覚で判断するとおかしなことになります。
同じように、以前はパワハラが問題にされることがなかったとしても、現在ではパワハラとなることはいくらでもあります。
人によりパワハラにならないわけではありません。その時代には、パワハラが問題にならなかっただけです。
世の中が進歩している証拠です。
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