Googleは自動運転車の路上試験を着々と進めています。新たに道徳的な課題も見つかったようです。
自動運転車の倫理問題
Googleの自動運転車が道徳的ジレンマに陥っているという記事がありました。
「通行人を助けるため運転者を犠牲にするのか?」全自動運転カーは人の命に関わる道徳的ジレンマにどう対応するのか? – GIGAZINE
自動車の運転に関連して、次の例が提示されています。
友人をのせて自分が運転している自動車が制御不能に陥り、このままいくと前方にいる子どもの集団に突っ込んでしまうという場面に遭遇したと仮定します。子どもの集団をよけると道から落下し運転手と同乗者の両方が死を免れない場合、運転している人は5人の命か、自分を含めた2人の命を選ばなければいけません。
倫理学では有名な問題です。
全自動運転車にその判断をさせるアルゴリズムを組み込むならば、被害を最小にする選択をさせるしかないと思います。
実際にそのアルゴリズムが影響する場面が、どれほどあるかわかりません。仮に全自動運転車が制御不能になったとしたら、ハンドルを切ることもできないはずです。
この問題は、あくまでも頭の中で考えて見つかった問題です。
むしろGoogleの自動運転車は、このような問題まで検討する段階にきているということを示しています。
自動運転車の将来
自動運転車の将来は、次のようなイメージです。
腕時計型のウェアラブルデバイスに語りかけます。
「10時に○○に着くように車の用意をしてくれ」
ウェアラブルデバイスが返事をします。行き先に合わせて、何時に出発すればよいかも教えてくれます。
「かしこまりました。9時にお迎えに参ります」
9時に家の前に現れた自動運転車に乗り込むと、10時までに目的地に連れて行ってくれます。自動運転車に乗っている間は、本を読むのも映画を見るのも自由です。
車は人が運転するものではなく、公共の移動手段となります。費用は自動的にクレジットカードなどから引き落とされます。カーシェアリングもUberもこの自動運転車システムに取り込まれます。
ここまでたどり着くには、何段階もあります。
しかし、自動運転車に人が安心して乗れるようになれば、その他の技術やインフラは今の技術の延長です。意外と実現は早いかもしれません。
私が生きている間にここまでたどり着くことを願っています。
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